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2010年5月12日水曜日
学びの必要性 レビィ・ストロース
私が高校生の頃、数学の教師に「何故学ぶ必要があるのか」と問うたことがある。
しかし、教師は何も答えなかった。当然私は数学への意欲はなくなり勉強しなくなった。
今、私に同じ問いがかけられたなら、私はこう答える。
それはね「合切袋」に入れる行為だからさと。
レビイ・ストロースは著書「野生の思考」の中で、マトグロッソのインディオたちが、「プリコルール」という行為を行っていると書いている。
ジャングルを歩く彼らは、当然持ち歩けるものの量も決まってくる。彼らは「合切袋」にこれが必要だと直感するものを入れて移動する。木の端の場合もあれば、葉っぱの場合もある。いつ役に立つか分からないが、いずれ役に立ちそうだと思って入れていく。これが「プリコルール」
教育の必要性とはいわばこんなものだと思う。
いつ役に立つか分からないものを入れていく本能的行為である。
カラビヤウ多面体を知っているからといって、セントラルドグマを知ってるからと言っていつ役に立つか分からない。
しかしね、教育とはこんなものだと思う。
勉強すればするほど頭がよくなるというのは嘘です。ある一定の閾値を超えれば効率性は極端に悪くなる、それが勉強です。何だってそうです。一番上限のほんの少しの違いには莫大な労力と費用が掛るものです。
あのときの数学の教師にレビィ・ストロースを読む「プリコルール」を知っていればもしかして私も数学が好きになっていたかもしれません。
そのような質問が予想される世の若いお父さん、お母さん、みすず書房より上記書発刊されています。買ってご一読ご理解あれ。
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