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2012年12月7日金曜日

PM3:00


PM3:00

美佐子はスーパーの青果売り場にいた。手に持っていたプラスチックの買物籠には、今日の夕食の食材が無造作に放り投げられていた。遠目には分からなかったが目を凝らして見ると、品物には全て赤い特売品のシールが貼ってあった。

美佐子は好き嫌いの多い4歳の息子に少しでも野菜を食べさせようと、夕食のおかずは野菜を一杯入れた酢豚にしようと決めていた。

もう六年も前になるが美佐子は職場の上司に中華料理店に連れて行ってもらったことがあった。そこで美佐子は初めてパイナップル入りの酢豚を食べた。パイナップルを入れた酢豚は邪道だと嫌う人もいたが、美佐子はこれがとても体に良く高級そうな気がして一度で好きになった。でもそれ以来、酢豚は食べても作ってもいなかった。

美佐子の結婚した男は調理人だった。若いながら腕はよく、日本橋の和食料理店ですぐさま板長に抜擢された。美佐子と出会ったのは丁度その頃だった。皆に煽てられ有頂天になった彼は生活が派手になり身分不相応な高級クラブに通い女に入れあげるようになった。

そして挙句の果てに店の金まで使い親方に罷免された。その後の彼は新しい店に勤めても長続きせず、すぐに別の店に移る「渡り」と呼ばれる根なし草の調理人となった。彼は昼間から酒を飲み、今の全ての不幸の原因が妻である美佐子のせいであるように絶えず罵り、暴力をふるった。

美佐子はそれでも耐えていた。

美佐子は福島でも宮城に近い山深い村で生まれた。家は5人兄弟で長兄、長女、次女、そして三女の美佐子とその次に生まれた次男だった。父親は生まれつき脚が悪く、力仕事はほとんど母がこなした。生まれつき体躯が良くがっしりした三男が中学を卒業すると同時に家を手伝うことになった。長男は高校卒業後、港町で港湾労働をしていたが今まで音信不通、行方不明になっている。当然、このような家庭環境だったので美佐子も高校を卒業すると働かなければならなかった。商業高校で簿記を習っていた美佐子は福島の小さな機械加工会社の経理科に就職することが出来た。美佐子はそこで数年コツコツと働いた。

ある日、会社の部長から東京で事務所を出すので一緒に来てほしいとの依頼があった。住む所も、給与も今より破格の条件だったのと、若い美佐子は内心東京に憧れていた。美佐子はすぐさま応諾した。

上京して2年が過ぎようとした時に、部長から突然の電話があった。今日からもう出社しなくていいという電話だった。突然の電話に驚き事務所に行ってみるとそこには白い紙が貼られていた。ここに押し掛けた人物は口々に汚い言葉を吐いて、ドアを蹴り、大声を上げていた。美佐子はいたたまれなくなり、その場を後にした。

美佐子は実家にはこのことは伝えなかった。いや正式には伝えられなかった。男性と知り合ったのはこの頃だった。男性のアパートに同棲するには時間は掛らなかった。そして息子が生まれた。男性は最初の頃は帰ってくると息子の顔を見てそれから冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいたが、最近では息子の顔すら見ない。酒に酔って美佐子を殴るだけならまだしも息子にまで手を出した。美佐子は別れる決心をした。

あとの一週間で三歳の誕生日を迎えるある日だった。美佐子が目を離している好きに男は息子の足裏に煙草を押しつけていた。男性は息子の正座がうまく出来ないという理不尽なことで、何度も何度も火の付いた煙草を足の裏に押し付け、泣いて逃げ惑う我が子をニヤニヤした目で追いかけていた。美佐子は別れる決心をした。

もちろん別れるのは簡単ではなかった。ただ、美佐子は強い決心をしていた。それにこの男は別に愛人が出来たようで美佐子のことはどうでもよくなっていた。美佐子はそのことを逆手に取り、男にとって飛びつきたくなるような条件をぶら下げて男と取り決めをした。美佐子は自分でも信じられないくらい冷静だった。もちろん美佐子はその男と刺し違えても約束を守らせる準備もしていた。それ以来、男は美佐子を追ってこなかった。

店の入り口に男性が立っていた。美佐子とは10歳以上年の違うであろうその男性はグレーのフランネルのスーツに茶色い鞄を肩からかけてもう一方の手には買物籠を下げていた。買物籠には何も入っていなかった。

男性の身長は美佐子より20センチ以上は高く、肩幅もありがっしりしていた。美佐子がその男性がいつも早朝に現れる、息子と思しき人を連れた常連の男性であることに気づくには時間は掛らなかった。

美佐子は今年で30歳になる。背はさほど高くはないが太ってはいない。もともと肌の白い美佐子は鳶色の瞳と相まってハーフと間違えられることもある。ボブの様に短く切り揃えられた髪の毛はストレートでサラサラしていた。ベージュのウールのパンツにライムグリーンのスゥェターを着ている美佐子は子供を連れていなければ独身に見える。

美佐子は首をかしげる程度の会釈をその男性にした。男性は美佐子が誰なのか分からず逡巡したが、ライムグリーンとベージュのパンツを頭の中でいつもの制服に変換して、やっとのことで毎朝、自分を元気づけてくる南平台の朝食の時の女性だと気が付いた。

男性は軽く会釈をして、美佐子の方に近づいてきた。

モミジバフウの葉が風に飛ばされ、幹が直線の強さを取り戻した穏やかな初冬の午後だった。


Bride


Bride

古い石造りの教会は幾分湿気を帯びていて内部に立つと、うっすらと首筋に汗が滲む。高い天井の両横が翼のように折れ曲がりそのひとつひとつには白い天井扇が回っていた。

男は足元に視線を落とし、数ヶ月前の事を考えていた。

娘がその男性を連れてきたのは蝉の声が煩く聞こえるまだ夏の暑い頃だった。その男性と結婚したいと言いだしたことは男にとって以外ではなかった。そもそも序章はその数ヶ月前に始まっており、てっきりその時に結婚の申し込みをされるものだと思っていた男は肩透かしを食らった形だった。

男性は長身で目鼻立ちのしっかりしている好青年である。事前に娘から職業やその人となりを聴いていたので、反対する道理はなかった。

結婚の話はとんとん拍子に進められた。新郎新婦の希望は親族だけで海外で挙式することだった。男は大いに同意した。何故なら、娘の結婚式を出来る限り陽気に送り出してやりたいと思っていたからだ。

それから数カ月が経過するうちに男は様々な感情の入り混じった、不思議な感覚の中にいた。

二人の新しい門出に祝福し、最大の賛辞を贈りたい気持ちと、自分の体の一部が失われていくような喪失感、それはなんとなく今までも分かっているつもりだったが、結局今まで実際の自分の細胞がそれを体験することはなかったのだ。

テレビのCMに赤ちゃんが生まれると母親が生まれますというコピーがあった。それを借りるなら花嫁が生まれると花嫁の父も生まれるのだ。それまでは「うすうすなるであろう」という感覚が、全身の細胞の体験によって確定されるのである。そして初めてわかるのだ。

教会の内部からキリストの描かれた大きなステンドグラスを見上げることが出来た。そのステンドグラスはまだ明るい南国の太陽の日を受けて荘厳な教会とは似つかわしくない派手な色を放っていた。

一回きりの予行演習はあっという間に終り、本番を迎えた。男の妻がベールをおろして娘に祝福の抱擁をしたときにはさすがに男も目頭が熱くなったが、祭壇の十字架を見つめ涙は流さなかった。男は娘の手を取りバージンロードを進んだ。娘の目に光るものを見つけたが、新郎の顔を見るや笑顔に変わった。これで良かったと男は思った。

牧師の宣誓のもとに式は終了し、男は戸外に出て祝福の花を天高く舞い上げた。

花はステンドグラスの光と重なり幾重にもはらはらと地面に舞いおりた。その時、外から見るそのステンドグラスは夕闇に染まり、先程の派手な色からアンバーの落ち着いた色に変化していた。

お葬式は儀式である。お葬式は亡き人の身体という象徴を目の見えないものにすることによって大いなる悲しみを、時間を借りて思い出に変える儀式だ。ならば結婚式どうであろう。娘が言うようにこの世からいなくなってしまうわけではない。では何であろう、きっと娘のウェディングドレスで一番輝いている姿を目に焼き付け、「これでいいんだ」という「心の諦めの儀式」なのではないだろうか。ちなみにスペンサー・トレーシーは宴の後でとても柔和な顔をして妻と談義するではないか・・・・世の多くの花嫁の父に・・・