Bride
古い石造りの教会は幾分湿気を帯びていて内部に立つと、うっすらと首筋に汗が滲む。高い天井の両横が翼のように折れ曲がりそのひとつひとつには白い天井扇が回っていた。
男は足元に視線を落とし、数ヶ月前の事を考えていた。
娘がその男性を連れてきたのは蝉の声が煩く聞こえるまだ夏の暑い頃だった。その男性と結婚したいと言いだしたことは男にとって以外ではなかった。そもそも序章はその数ヶ月前に始まっており、てっきりその時に結婚の申し込みをされるものだと思っていた男は肩透かしを食らった形だった。
男性は長身で目鼻立ちのしっかりしている好青年である。事前に娘から職業やその人となりを聴いていたので、反対する道理はなかった。
結婚の話はとんとん拍子に進められた。新郎新婦の希望は親族だけで海外で挙式することだった。男は大いに同意した。何故なら、娘の結婚式を出来る限り陽気に送り出してやりたいと思っていたからだ。
それから数カ月が経過するうちに男は様々な感情の入り混じった、不思議な感覚の中にいた。
二人の新しい門出に祝福し、最大の賛辞を贈りたい気持ちと、自分の体の一部が失われていくような喪失感、それはなんとなく今までも分かっているつもりだったが、結局今まで実際の自分の細胞がそれを体験することはなかったのだ。
テレビのCMに赤ちゃんが生まれると母親が生まれますというコピーがあった。それを借りるなら花嫁が生まれると花嫁の父も生まれるのだ。それまでは「うすうすなるであろう」という感覚が、全身の細胞の体験によって確定されるのである。そして初めてわかるのだ。
教会の内部からキリストの描かれた大きなステンドグラスを見上げることが出来た。そのステンドグラスはまだ明るい南国の太陽の日を受けて荘厳な教会とは似つかわしくない派手な色を放っていた。
一回きりの予行演習はあっという間に終り、本番を迎えた。男の妻がベールをおろして娘に祝福の抱擁をしたときにはさすがに男も目頭が熱くなったが、祭壇の十字架を見つめ涙は流さなかった。男は娘の手を取りバージンロードを進んだ。娘の目に光るものを見つけたが、新郎の顔を見るや笑顔に変わった。これで良かったと男は思った。
牧師の宣誓のもとに式は終了し、男は戸外に出て祝福の花を天高く舞い上げた。
花はステンドグラスの光と重なり幾重にもはらはらと地面に舞いおりた。その時、外から見るそのステンドグラスは夕闇に染まり、先程の派手な色からアンバーの落ち着いた色に変化していた。
お葬式は儀式である。お葬式は亡き人の身体という象徴を目の見えないものにすることによって大いなる悲しみを、時間を借りて思い出に変える儀式だ。ならば結婚式どうであろう。娘が言うようにこの世からいなくなってしまうわけではない。では何であろう、きっと娘のウェディングドレスで一番輝いている姿を目に焼き付け、「これでいいんだ」という「心の諦めの儀式」なのではないだろうか。ちなみにスペンサー・トレーシーは宴の後でとても柔和な顔をして妻と談義するではないか・・・・世の多くの花嫁の父に・・・
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