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2012年5月31日木曜日

自己と非自己 SNS

FACEBOOKを始めて3カ月が経過した。何事にも良い面と悪い面があるように、今日は悪い面の事を書いて見ることにする。

まず驚かされるのはよくもまあそこまで友達広げたねという人が多い事。もっともビジネスに結び付けて上手くやっている人も多いのだけど、もう一方で自分の信条や価値観を前面に押し出してくる人がいる。

こういうやからは自分と同じように、自分の意見と同質の意見を求める。ある著作や講演を生業としている人物が、自分の本について否定的な意見は掲示しないでほしいというような旨の書き込みがあった。

もともとFACEBOOKの繋がりは友達なんじゃないの?それに忌憚ない意見は彼自身を成長させるはずじゃなかったのと考え込んでしまう。

彼ばかりじゃない。多くの自分に都合のよい繋がりだけを求めているようで、他人の意見は聞いていない。SNSはいわば自己表現なのだろうか・・・少なくとも私は友人に私が経験している日常を出来るだけ即物的に情報発信しているつもりでいる。

政治が劇場化していると言った事があるが、ある意味SNSもそうなのかもしれない。

この国はありとあらゆる場面で家僕が大きな事をいう。政治もそれにひっぱられ機能不全に陥る。

ラジオから消費税増税についてマニフェスト違反なのだから国民に信を問うため選挙し、その結果小政党乱立になってもそれは仕方ないなんていう無責任な発言をする自称評論家もいる。

原子力についても国民に不安をあおるだけ煽ってそれでおしまい。一体あなたは何者なのと気分が悪くなる。

私は多田富雄先生の著作を数冊持っている。免疫会の巨人といわれたが、私には氏の学問にとどまらぬ興味の対象への深い洞察と分析に驚かされる。偶然、息子がその方面に進んでいる事を事務所に時折り訪ねてくる日経新聞の編集委員のH女史に伝えると、女史から多田先生と作った一冊の本をプレゼントしていただいたこともある。

氏の著作の中に自己と非自己の認識こそ免疫の正体であると書かれている。

例えばうずらとニワトリを使ってキメラを作ると多くの場合には数日後に死ぬが、胸腺を移植したものは生きながらえたという。

難しい話は別としても、今の日本はこの免疫が引き起こす過剰なアレルギー反応が起きているようで気になる。いや、日本に限った事ではない。ギリシャを見ても、フランスをみても自分たちの不都合な事があるとすぐ反応する。全体の結末などお構いなしにである。

私の知り合いでFACEBOOKで少しノイローゼになった人もいる。友達だと思っていたのにひどい事を書かれたのであろう。そこへ行くと私は心配していない。そもそも友人なんて物凄く少なくて結構と思っているし、SNSはあくまで仮想空間なのだから必要以上に肩入れするつもりもないからだ。

誰かがブログとフェイスブックどちらが大切かと聞かれればブログですと答えていた人がいたけれど私も全く同感です。

そうそうヘーゲル先生の言葉を借りると「英雄はいるのです。でも家僕が英雄のことをいうと英雄は英雄でなくなってしまう。家僕は家僕なのだから・・・・黙ってなさい」・・・・・・・・・・・・




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