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2012年5月22日火曜日

器用貧乏

「私は人に何でもしてあげるのだけど、いい事はないのよ、こういうの器用貧乏というのかしらん」

という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。

私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。

物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。

若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。

それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。

我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。

先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。

弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。

我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。

お金は後から付いてくるの例えはこのことです。

閑話休題

ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。

実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。

こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。

もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・




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