皆さんはアルバムを何冊くらいおもちですか?我が家には50冊近いアルバムが本棚の最上段で埃を被って眠っております。
何処の家庭でも最初の子の方が写真が多くなるたとえの通り、我が家でも長女の写真が多いようです。
考えてみるとこのアルバムは結婚してからのもので、私達の幼い頃の物は実家においてあります。
結婚と言うひとつの儀式を契機に自分たちの人生をリスタートさせたのかもしれませんね。
つまりはこれらのアルバムは私達夫婦のものであり、子供達のそれではないのです。子供達は自分たちも新しいアルバムを作って行かなければならないのです。
最近では重くて嵩張るアナログの写真より、デジタル化が叫ばれ全ての写真がPCの中で管理できるようになりました。
時系列に検索すればあっという間に写真を取り出すことも出来ます。さらにクラウドを使えはその写真を数人で共有したり、いつでも見ることが出来ます。
そんな古くて重いアルバムを見ていると私達の尖がった顔も大分丸くなった(物理的には十分丸いですが・・笑)ようですが、若い時に世間全体を敵に回しても自分の考えを貫いていた鋭い眼光は多少穏やかになったにせよ、相変わらず反骨の精神は残っているような気がします。
今日、糸井さんのブログ(愛読者ですので)に「30才位までは少年のようなと言われても良いが、それ以上の年になってまだ少年のようなという形容をされたら、それは自立していない、危なげなことである」と否定的に書かれていました。
そうでしょうか、丸山眞男がいうように日本人は多分に「動機の純粋性」好むの例え通り、感情的な正しさを優先させます。昨今の原発廃止論などまさにその通りです。動機が純粋なら、経済性も、法理性も無視しても良いと考える訳です。池田信夫氏はこれを「福島みずほ化」と読んでいました。(笑)
確かに動機の純粋性のみで感情鼓舞するのは間違いです。そうではなく、大人になると見えなくなる何かをインスピレートすることです。
少年っぽいとは見掛けや、スタイルの事ではありません。そんなインスピレートを大切にして、自分の考えを持つことです。そして周りに迷惑を書けない、それが本当の大人の少年っぽさではないでしょうか。
幸いな事に私の周りには60歳を過ぎてもそうした大人の少年っぽさを持っている人が多くいます。
私もそうした大人の少年っぽさを失わない老境を迎えたいものだと考えています。
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