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2012年12月16日日曜日

アメリカンクラブハウスサンドウィッチ 森戸海岸 デニーズ


アメリカンクラブハウスサンドウィッチ 森戸海岸 デニーズ
 

食に関する事を話題にしてきたのであるが、今回は断然人の話である。そのことを最初にお断りしておく。

私が友人S氏(ご夫妻・ご家族)と友達になったのは18年前である(たぶん)。

私が横浜に引っ越して間もなくしてジーニーというゴールデンレトリバーを飼った。もちろん飼ったというより買ったという表現が正しいほど、唐突に直情的にペットショップからもぎ取るように引き取ってきたのだ。ジーニーはディズニーの魔法使いから名前をもらった。私達に幸せの魔法を掛けてくれるように名前を決めた。ジーニーは家族の愛情を一杯もらって順調にすくすく育った。そんなジーニーの遊び場所になる空き地が当時は家の近くに多かった。三角と呼ばれるその場所は人家も少なく、地形的にも一方を崖地に囲まれフェンスで覆われたまさに犬を遊ばせるには最高の空間だった。

ある日、マスクをした紳士が私達の方を見ていた。すると以前から一緒に遊ばせていたゴールデンの飼い主の男の子が紳士のところに近づき、紳士に向かって「おじちゃん怖くないよ、入っても大丈夫だよ」と大きな声で促した。紳士自らも大きな体躯のハスキー犬を飼っていたのだが、実は犬は怖かったのである。その男の子の眼力は当たっていた。

その紳士こそ今回の話題のS氏なのである。その後、S氏も含めて犬を共通の話題とするその空き地の人々とは犬の名前を使って呼び合う間柄になった(当時は犬の名前は知っていても名字も職業も全く知らなかった)。

最初に犬抜きで(何か蕎麦の天抜きみたい??)合ったのは市が尾駅近くの相馬という焼鳥屋だった。2階に上がった私達は足の踏み場の無いという表現がぴったりのその空間にぎゅうぎゅう詰めで座してジヨッキを重ねた。当時は10家族いたと思う。

S氏が言っていたとおり、次第に集まるメンバーも決まり、また病気や引っ越しなどで離散してしまった人もあらわれ、結果的に5家族が残った。この5家族はいまでも事ある度に集まり祝杯(いつでも祝杯なのだ)をあげている。

S家には二人の秀娘がいる。私達が知り合った頃は長女のM子さんはまだ大学生だった。確かUCLAから東部のコーネルに移った頃だっと思う。そして次女のW子さんはその当時まだ高校生。やがて国際線のCAを経て、慶応のMBAを取るこの二人のその秀才振りはまたの機会にとっておく。

私が今までの海外経験をした知り合いを見ると、日本の学校になじめず親が無理をして海外の学校に通わせるが、周りには日本人ばかりで語学の学習は愚か日本での基礎的教養も教わることなしに過ごして来た人が多かっただけに、このお二人には正に目からうろこ青天の霹靂だった。

S氏の詳細はここでは述べることはしないが、ようするにこのお二人を育てた、国際人なのである。パロスベルデスで暮らした生活ぶりからもその人脈、経歴はお分かりであろう。

兎に角、日本人離れしているのである。そんなS氏とは一回り以上歳は違うが失礼ながら年寄りと感じたことは一度もない。ゴルフで飛距離が負けた時の少年のような悔しさたけではない。全てに前向きなのだ。2度の大病の手術の時にも大笑いした病室が語るようにその魅力は私だけでなく万人が感じるものなのである。

そんなS氏が大好きな場所が森戸のデニーズなのである。どこのデニーズでも良いというわけではない。森戸のデニーズで、出来れば初冬の今のような季節がいい。S氏に言わせれば「厚手のアランスゥエーター」を着こんで風のない昼間がそのシチュエーションにぴったりらしい。そして注文するのは「アメリカンクラブハウスサンドウィッチ」である。

どんな高級なクラブハウスサンドウィッチよりS氏の日本離れした話題とともに頬張るここのサントウィッチが世界一なのは言うまでもない。

 

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