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2011年1月26日水曜日

包摂する社会 

菅首相の演説に使われた包摂する社会とは、その中でも公務員や行政のみならず社会全体が弱者を幇助する社会の構築に向けて考えると言う意味合いの言葉でしたが、このところブログで何回も申し上げている「他者との孤立」「個人主義の肥大化」にも関係します。

確かに「無縁社会」「孤立社会」は顕著にあちこちで見られます。

しかしながら、従来型の構造を社会が持ち続ける(持ち続けるベクトルがどうしても強い気がします)ならばこの社会的包摂も意味をなしません。

社会的包摂を説くならば同様に国民に自己犠牲を問うべきです。この両論なくば論理は構築されません。

そうです日本人の最も不得意とする個の自律です。これをどうやって為し得るのかそれこそが社会的包摂なのです。

所詮一時のあだ花というなかれ、タイガーマスク現象はその一条の光となるかもしれません。社会学的に再検証する必要がありそうです。

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