70歳の自分
人間人生は50年、後は残りの人生などとほざいている奴が何をぬかすかと激昂されそうであるが、昨日テレビを見て自分の70歳はどんな顔をしているのだろうと不安になった。
その人は若くして起業し、そして裏切り、挫折の連続であった。最後の貸し本チェーン店も売り上げの水増しの責任をとって辞任した。そして老境になって飲食店のチェーンを始めた。でもその人の顔は悲しそうだった。何をやっても心底満足できないそんな顔だった。
その人のやっている飲食店に行ったことがある。フレンチなのに格安しかし立ち飲みで時間は限られる。いわば立ち食いそばのフレンチ版である。食材費は70%という。それはそれでいい。でも本当に美味しいだろうか。残念ながら私の口には合わなかった。
結局どのビジネスをとってみても彼の本質は変わっていないと思う。新し物好きの日本人の集客は当面可能だろうが、果たして彼の気の休まる事はあるのだろうか。尤、彼は気など休む必要は無いと言われそうだが。
彼と私の決定的な違いは短い期間でも組織の中で働いたという点だと思う。大学を卒業し実家に入るなり、起業したりすることは可能だ。けれども何か足りない気がする。
私も卒業と同時に起業を目指した事がある。しかし恩師に止められた「一度は会社という組織に入る事をお勧めする」と、やっとこの歳になってその意味が分かってくる。本当恩師には感謝している。
人生というのはリズムだと思う。若い頃、先走ってリズムを崩して失敗する事もある。それはそれでいい。けれどもその失敗を次にしないように教えてくれるのが組織というものだ。だから組織の経験者はそのような失敗をしなくなる。心臓の鼓動を整えて次の船出のチャンスを待つ事が出来るからだ。人、もの、かね、それだけ企業には余裕があった。
飲食というのは一人の料理人の夢にどれだけ多くの人を引き付けるかの真剣勝負だと思う。
大衆の目はごまかせても本質を知る玄人はごまかせない。つまらない仕掛けや店側の理論は看破されてしまうから。これは私の経験からもそう思う。だから70歳になってもまだそのような事に拘泥したくない。
幸いにも私の周りには70歳を超えてもまた超えないまでも第一線を退いたとはいえ世情に通じそれでいて穏やかで幸せそうな笑顔を持った友人が多くいる。
私もそんな友人に見習いたいと心底思うのである。幸せな人生を歩んだ人は自ずと幸せな顔になっていく。これが今日の教訓である。幸せだと思える一日かどうかの積み重ねなのである。
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