地勢学上の日本の東西の境界線はフォッサマグナに沿って存在すると言われていますが、文化的境界線はどこなのでしょうか?
岐阜市内に数年住んだ経験から申上げて、名古屋も一見関西風には見えるのですが、食生活慣習はやはり三河文化圏そのものです。岐阜市内は名古屋とも違うのですが、同様に関西文化圏ともいえないのです。
車で西行すると伊吹山はすでに関西圏だと思うのです。会社のスタッフはほとんどが岐阜文化圏=東の人が多かったのですが、一人だけどうしても違う感じの人がいました。その人は垂井の出身でした。
大垣市も確かに、すべてがどちらとは言えませんが、後々、アクセントを研究している人の話を聞くと、この垂井が関西よりだと教えてくれました。つまり、揖斐川が東西を分ける境界線だというのです。
平安時代より川はこの世とあの世を隔てる境界といわれてきました。あながち揖斐川を境界とする私の考えも捨てたものではないかもしれませんよ?揖斐は人名が地名になったもので、古くは鎌倉時代の吾妻鏡にも登場します。
0 件のコメント:
コメントを投稿