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2010年11月16日火曜日

家族論 アポトーシースと「死の哲学」

以前、「死の哲学」について述べた事がある。中世ではいつ死んでしまうか分からない状況の中、「死」を覚悟した生活を送る事が求められたからだ。この手の話はデーケン教授の書作に詳しく述べられているので調べたい方はそちらをご参考あれ。




我々は生まれながらにして「死」に向かっている。細胞という単位でみても、アポトーシス (apoptosis)=システム的細胞死が組み込まれている。

結婚して、子供が出来て、子供が育ち、手が掛らなくなってくる。それはそろそろ私達の細胞も終盤戦を迎えますよと言っている訳だ。

顧問弁護士の先生が面白い事を言っていた「老眼になるのはそもそももうそんなに細かいものは見なくていいように設計されているのかもしれないと」そうかもしれない・・・・

家族の関係は一様ではない。各々の家族においてもその密度や距離感は時代と共に変わってくる。

内田先生が教育とは贈与であるというとおり、その意見に同意する。贈与である以上見返りは求めてはいけない。

家族の関係は数枚の生命線の一不の重なる時期を共有する関係といえるかもしれない・・・・

死が我々の絶対命題であるのと同じように、この関係性も不文律なのかもしれない・・・・

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