このブログを検索

2011年4月26日火曜日

Cobblestone Appearance

我が家では教養の方向が親→子から子→親に変わって久しいと申しましたが、そうでもありませんでした。まあ残滓のようなものですが少しは残っているようです(笑)

内科学の試験を終えた息子に昨年の医師国家試験の出題であった潰瘍性大腸炎とクローン病の違いについて聞くと、機嫌が良かったのか珍しくまっとうに答えてくれました。よくぞそこまでという細部まで頭に入っているようでした。そんな中で彼の言葉にこのCobblestone Appearenceという言葉が出てきました。クローン病に特有の病変ですが、文字通り敷石状所というものです。

医学のことは別としてよくCobbleという英単語知ってるねと言うと、「親父が前に読んでいた本のタイトルが変わっていて、確か何とかの敷石という本だったので、調べたんだ」とのこと。

私の雑読も決して無駄ではなかったようです。

しかしその後の彼の弁がふるっています。「こういう丸暗記好きじゃないんだよね。私はどうしてこの病変になるのかそっちの原因との因果関係を調べたいんだけど、興味がないみたいなんだよみんな・・」

でもその原因との因果関係が証明されるってノーベル賞級の発見なんじゃないのかな・・・???

そう思う父でありました・・・・・



その本がこの堀江敏幸氏の芥川賞の受賞作である熊の敷石です。

その後も氏の小説を読みましたが、どれも氏特有の細やかで素晴らしい文章ですが、私はこの熊の敷石が一番好きです。読者というのは勝手なもので(私の場合)、上手すぎる文章をこれでもか、これでもかと読み続けると、少し食傷気味になり、あっさりとしたものが欲しくなります。その点この本はさらっとしています。

氏がよく織り交ぜる人間との関わりの中でのある一定の距離感というか、「場」のもつ魅力は確かに存在します。

今までそこに人がいたのに、目を覚ますと一人になっている。しかし、人がいた事実は空気や時間となって過去から未来に繋がっていく・・・そんな儚い関係が私は好きです。そうサウダージのような・・・Cobbleからプルーストまで繋がるのです・・・・

勉強はいつ使うか分からないためにするのです。いつ使うのかはっきりしているものは技能です。もちろん技能も生きるために必要なものです。しかし「人はパンのみに生きるのにあらず」「茶碗のような学問をするな」どちらも真実です。

0 件のコメント: