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2012年1月27日金曜日

眠そうな街 濹東奇譚

私は三浦氏が指摘しているような典型的、郊外の街に今住んでいる。

確かに滑稽すぎるほどステレオタイプで核家族化した日本の家庭が集合している。

氏は新潟の出身だっと思う。新潟は分からないが、私の育った群馬県のK市は武田花写真集「眠そうな街」に登場する街だった。

繊維業の栄えていた頃には東洋の上海とも呼ばれ、飲食店は数多林立し、水商売も多かった。

それが急速に衰退していった。眠そうな街になったのは私が上京したあたりからだった。

私が上京した頃、友人のA男とN子は東武伊勢崎線の玄関口である、浅草の近くにアパートを借りていた。

私は叔父の家が杉並にあったのでその近くに引っ越すことになったが、しばしこの二人の住む下町に遊びに出掛けていた。

当時は今のような東向島ではなく、玉ノ井と呼ばれた。

永井荷風「濹東奇譚」に描かれている姿は大分薄らいでいたが、路地の入口にまだ「ぬけられます」の看板は残っていた。

松島が描かれた近くの銭湯には社のような回り廊下と2階には大きな窓があった。あたかも楼閣のごとし。

荷風によれば、震災で浅草にあった銘酒屋が移転し、戻れなくなりここに私娼街を形成したとある。

当時はまだそんな怪しげな建物が亡き殻のように残っていた。

私の記憶の中には眠そうな街から東京での始まりである玉ノ井が根底にあるのかもしれない。

それ故、典型的な人工的な街に惹かれるのかもしれない・・・何事も知らぬ間にバランスをとっているものだ・・・・

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