犬友のパーティは確かに良く食い良く飲むのであるが知的な話題も多いのです。
エンジニアであるK井パパは還暦を過ぎても世界中に日本を売っている人なのです。
以前は原発を今は自然エネルギーである太陽光の発電施設です。
その発電施設の中核担う変電設備です。ここで家庭や工場で使える交流電気に変換し送電します。
この能力が数パーセント違うだけで大きな差になるのだそうです。
太陽光パネルはすでに価格競争の世界です。海外のメーカーの進出も目覚ましいものがあります。
しかし、この核となる施設の真似はおいそれと出来ない、つまりはコア・コンピタンスになるのです。
ホンダのエンジン(芝刈りから自家用車まで)、ボルボの安全性などがそういわれていましたが、ムーアの法則宜しく、あっと言う間に時代は変わりコア・コンピタンスも変化するのです。
閑話休題
皆様は「レクサスとオリーブの木」という本を読んだことがありますか?
私は数年前に読んで自動車に疎い友人の執筆の手助けになればと貸したことがあります。
要するにレクサス神話がどうして作られたのか、何故、アメリカ人がレクサスを好んだのか、それに対してオリーブ=つまり原始的産業を取り上げているのです。
ここから先はレクサスを持っている方には大変失礼な話なので読まない方が良いと思います。
レクサスがアメリカで成功したのはメルセデスやBMWに対するアンチテーゼです。決して心からレクサスを所有する喜びを得た訳ではないのです。フェラーリやベントレーなど何台も所有している人が1台電気自動車を所有する感覚に似ています。
そのレクサスのアメリカでのオープニングイベント(確かH報堂さん)が演出したのは、レクサスのボンネットにシャンパンタワーを作り、エンジンを掛けても一滴もこぼれないエンジンの静観性を表現しました。
マスコミや多くのアメリカ人はこのニュースで持ちきりになったようです。
一方、メルセデスやBMWのエンジニアは決して驚いたりはしなかったと聞きます。
何故なら、こんな子供だましの演出は両社ともやろうと思えば出来るものだし、車の本質は走る、曲がる、止まるにあると確信していたからです。
BMWはこの後開発した車には逆にエンジン音が感じられるように設計したと聞きます。独特の直列6気筒つまりフラットシックスの音です。
日本のものづくりは良いと思われるものをこれでもかこれでもかとてんこ盛りにした、ラーメンの全部乗せに似ています。そこへいくとポルシェにしてもフェラーリにしても全部乗せはしません。(もっともこの頃のポルシェはその傾向が見られます)
何故こんな話をするのかと言えば、日本の産業はこうした製造業はもとよりサービス業においても本当に良いものを見てない、経験していないということです。
とりもなおさずそれは井の中の蛙であり、この位で良いだろう、この程度にしておけばという横並びの発想です。その正反対としてアップルのジョブズ氏のことを知る人は良く分かると思います。
シンガポールのラッフルズのロングバーで飲んだことの無い人がどうしてロングバー以上のバーが作れるのでしょうか、またリッツカールトンやフォーシーズンズリゾートで泊ったことの無い人が、それ以上のホスピタリティを提供することは出来ないのです。
もちろん独創的ということはあります。しかしほとんどの独創性は良いものを見、体験してから作られるのです。
Sパパが言うようにそれにはもっと広い世界を知る必要があります。アメリカでは西海岸より東海岸のをうがフレンドリーで親切だとアメリカ在住経験者は口を揃えます。住んでみなければわからない話です。
日本のものづくりはミディアムを真似してミディアムを作っていたのです。それがいつの間にか追い抜かれ気づいた時には何も無くなっていた・・・・そんな風にならないように祈ります・・・・
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