今の人に赤貧なんていう言葉を使っても果たしてどれだけの人が理解してくれるかは不明ではありますが、私にはあがた森魚の赤色エレジーが聞こえてくるのであります。
私の生まれ育った北関東のK市は当時、繊維業の不振が街全体を覆いつぶそうとしていました。
父親は明治生まれで、頭はそこらへんの人より多少は良かったかもしれませんが、何分世情に疎く、世間ずれしていませんでした。
というよりも彼の人生の華は満州で咲き、そして華は散っていたのかもしれません。
死に際に当時の場面が彼の頭をよぎったのか、アムールの虎や馬族は彼の夢のまた夢でもあり現実でもありました。
こんな両親なので赤貧の生活は当然と言えば当然のなりゆきでした。
あるとき両親が懇意にしている知り合いが私にどこぞの観光地で買ってきた「忍耐」と金色で描かれた盾を渡されました。
私には「忍耐」が足りないと・・・
少年の心は暴れました。
高校の教師をしていて何不自由なく暮らしているその一家に「忍耐」を強いられるとは少年の心にい薔薇の棘がささりました。
それ以来人少年は人の心の裏側を読むことが出来るようになりました。
心の曲がり切った少年は全身にイ薔薇の棘をまとい、事あるごとに人と争い、闇の夜の住人となりました。
赤貧の生活は続きました。世の中に蔓延する不平等と差別、人の心闇も味わいました。
このままでは押しつぶされそうな時に少年は明日を過ごす女性と出会いました。
女性は赤貧とは全く別の世界の住人でした。
明るく屈託のないその笑顔が少年をどれだけ勇気づけたか分かりません。
少年は次第にい薔薇の棘のマントを脱ぎ、心が柔和になりました。
そしていつしか「忍耐」の盾のことも忘れていました。
それでも少年はいつでもあの頃の生活に戻れる準備をしています。だってあれが自分の原点だったから・・・・
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