Capter2
Ⅰ
洋一の車は混雑した環状八号線を通過して関越道の入り口にさしかかっていた。入口までのアップダウンが続くこの道は古いフローリアンにはかなり堪える。それでも目いっぱいアクセルを吹かしなんとか周りの車に置いて行かれないように全身の力を振り絞るように走り続けた。
洋一がこの車を手に入れた時にすでに7万キロを超えていた。それから4年半洋一の良き相棒としていつも洋一と一緒に過ごしていた。
洋一が会社に入ってからはほとんど乗る機会がなく、土日に使う程度だったが、特に壊れるでもなく、洋一の言うことを良く聞く聞き訳のよい奴だった。ただこの頃時々エンジンから変な音がすることがあった。ゴロゴロという鈍い音とともに空気が抜けたような音だった。今日は今のところその症状は顕れてはいない。
高速道路の左の車線を走り続け、赤城山を右にみながら上信越道とのジャンクションに差し掛かる。洋一の車は左から回り込むように関越道に分かれを告げ、長野方面に向かった。
新しく出来たこの道はまだ開通したばかりで車は少ない。ときおり、トラックが通過したが道路のずっと先まで車が一台も見当たらない事も多かった。
周りが田圃や畑の景色から急に山がちになった。関東平野の一番西北の端だと言うことが地図を見なくてもわかった。
洋一がいつも聞いていたFENはここでは聞こえない。もっとも他のラジオ局も急峻な山がラジオの電波の邪魔をして聞くことは出来なかった。洋一はラジオのスイッチを切り、カセットテープを右手で押し込んだ。テープは3日前に友人から貸してもらったものだった。
洋一はその友人と中野で開かれるコンサートに行く予定だった。しかし、洋一はその前日から風邪をひき寝込んでしまった。体温計の熱は39度をさしたまま当日を迎えた。洋一はコンサートを断念した。
このテープはそのコンサートに出ていたジュリアードで若くして教鞭をとっている新人ギタリストの初めてのLPレコードからタビングしたものだった。テープがカタカタっと音がして曲が流れ出した。カセットケースの中にある紙面には友人の手書きの文字で曲名が英語と日本語で書かれ、そのあとに録音時間が記されていた。一曲目は「SanLorenzo」日本語で思い出のサンロレンッオと書かれていた。
友人はこの曲をコンサートで聞いた時にあまりのギターの旨さとその独創性に圧倒されたと興奮して話していた。確かにこのギターはスタジオで多重録音したとしか思えない。もし一人の人間が演奏しているとしたならばまるで手が4本あるのではないかと思うほどだった。そしてテクニカルなだけでなく、どこか心にしみる神秘性を持っていた。丁度,初冬の今,この曲の透明感が洋一にも分かった。
2曲目を迎える頃、左手にサービスエリアが見えてきた。洋一はステアリングをゆっくり切りながらサービスエリアに向かった。洋一建物から少し離れた場所にフローリアンを停車して、エンジンを切る前にカセットを取り出してポケットに入れた。
こ のサービスエリアに書かれている「おぎのや」という名前は良く知っていた。洋一が小さな頃、テレビでここの女将の細腕繁盛記仕立てのドラマを見た記憶がある。あの頃はこの手のドラマが多かった気がする。
時間は午後2時になろうとしていた。洋一はサービスエリアのカウンターで暖かいお茶とここの名物である「峠の釜めし」を購入して席に着いた。
この碓井峠は群馬県と長野県を繋ぐまさに峠である。今では廃止されてしまったが急勾配を列車が後ろに下がらないようにするためアプト式という特別な方式が取られていた。当然、列車のスピードはグンと遅くなる。電機機関車に替る前は遅くなったその列車はさらに力を込めようとするから吐き出す煙の量も増えて乗客は窓を開けられない始末だった。
しかしそれも昔の話、今では電化されアプト式もなくなっていた。
道路も九十折れのつづく山道だった。普通車でも大変なのに、大型の営業車にとってはさらに難所だった。また、冬になると道路は凍結しスリップの危険性が増す。ドライバーはそんな難所に挑む前にこのドライブインでつかの間の休息を果たすのだった。
数年前にこの高速道路が開通した。道路はカーブも少なく、出来るだけ山の陰にならないところに道路が敷設されているため凍結積雪も以前と比べれば少なくなった。結果このサービスエリアも通過するだけの車が多くなった。皮肉な話だ。
洋一は釜めしの蓋を取り、中を覗き込んだ。洋一は鈍いオレンジ色の塊を箸で取り出し,蓋の上に置いた。洋一は初めて食べた時から、この甘い得体のしれないものが嫌いだった。得体のしれないものの正体は甘く煮た杏だった。洋一はどうしてもこれが好きになれなかった。少し冷たい指先を暖めるように両手でぺットボトルを包んでお茶を喉に流し込んだ。
食事を終えた洋一は戸外に出てポケット持っていたセブンスターマイルドに火を付けて、別のポケットから取り出したカセットケースを見つめていた。洋一は2.3回軽く煙を吸いながら、灰皿に煙草を押しつけて足早に車に向かっていった。
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