もっとも今でも深夜や女性の独り歩きは危険極まりないが、こと昼間に限ってはそんなことはなかった。
景気が良くなると街は安全になるというが、今のアメリカが本当に景気が良いとは言い難い。
ロサンゼルスに暮らす二人の日本人男性に話を伺ったところ、二人とも異口同音に「珍しくなくなったから」という言葉を聞いた。
1992年に起こったロス暴動のその根源は人種間軋轢であることは明白だった。
その直後に訪れた私達は言わば同類のアジア人として見られていたのだろう。差別や攻撃的な人達に何回も遭遇した。
当時も今も一部のアングロサクソンの人達は言葉にしないまでも、決定的人種的偏見を持っている。
ところがアメリカという国は他の国の民族を取り入れることによつて成長している。ニューヨークが人種の坩堝として教科書に掲載されている通りである。
アメリカと言う国はこの”Divesity”こそが生命線なのであり、一部の人達の偏見や優位性を除いてマスとしてはこの特徴を受け入れているのではないだろうか。
それが彼らの「珍しく無くなった」という言葉の意味ではないだろうか。
片や我が国はどうだろう。
人工減少高齢社会と誰もが知りながら、この”Diversity”を受け容れたがらない。
フィリピンやマレーシアに厚生労働省が介護や看護の分野の門戸を開いたと言っても、実際には言葉の壁や官庁の横並びの弊害により、多様性には程遠いのが現状である。
こんなことを嘆いていたら、良い本が見つかった。
鈴木 鍵氏の「なめらかな社会とその敵」である。
本の内容については内田 樹氏が紹介しているのでそちらを参考にされたし、鈴木氏はサルガッソーという会社も運営している。サルガッソーをご存じの方なら著者の慧眼はお分かりのはず。
http://blog.tatsuru.com/
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