1974 乾いた夏 正露丸とトマト
少年はふらふらだった。夏休みに入ってバスケットの練習はさらに過酷になっていった。
体育館を使える日はまだ良いのだが、バレー部と入れ替わりなので外で練習する日がある。土で固められたコートはところどころ砂が混ざってとても滑りやすい。
少年のオニツカのキャンバスのバッシュは砂と埃で灰色になっていた。そのバッシュが滑る。体育館の様な訳にはいかない。
真夏の太陽の日差しが容赦なく照りつける。
少年は中学2年生だったが、ゲームでは先輩に混ざりスタメンに入っている。先輩の檄がとぶ。ルーズボールは地獄だ。それが3セット。腰に力が入らない。相手ともつれて倒れ込み膝や肘には無数の切り傷があった。
シュートにはスナップが必要だ。スナップを効かさないとゴールに嫌われてしまう。逆にスナップが効いていればザッという良い音がしてシュートが決まる。少年は手首を痛めていた。旨くシュートが決まらない。でも怪我のせいにはしたくない。遠くから打てないなら、ドリブルで突破してランニングシュートを決めようと焦っていた。焦れば焦るほどディフェンスがこちらの動きを読んで、目の前に立ちはだかる。
入道雲が真っ青な空にもくもくと湧きあがっていたあの夏。蝉の声が恨めしくなるほどの乾いた夏。親戚の実家で作っているトマトを持ってきた部員がいた。冷たい水で冷やしていたあのトマトの赤。
失敗するとランニングが待っている。校庭を1周2周と走らなければならない。
さらに時折上級生の雷が落ちた。ビンタを受けた事もある。1年生の中には気分が悪くなるものもいた。こんなとき正露丸を飲んだ。何が効くのか分からぬまま少年も飲んだ。今でも正露丸を飲むとあの夏を思い出す。
今だったらいじめでやり玉に挙げられただろうが、当時はそれが当たり前だった。
考えてみるとその後の人生であんなに乾いた夏は訪れなかった。夏に強いのはそのお陰だろうか・・
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