村上春樹にご用心 Ⅳ
夜中に並ぶ勇気と体力は持ち合わせてないのでアマゾンに注文していた。発売日翌日には手元に届く予定になっていた。ところが昨日書店の平積みされた本を見るや他の本に混ぜ隠すように会計を済ませていた。つまり土曜日には2冊同じ本が手元にあることになる。
私は誰に何と言われようが村上春樹氏のファンである。それも相当のファンだ。
第一の理由であるが氏は私より一回り上であるが、氏の観て来たものの多くは私と時代をだぶらせて体験している。つまり私がとても「共感」できるという点である。私は小説においてこの共感こそが面白いと思うか、思わないのかを大きく分けるものだと思う。
もうひとつは彼の言葉の巧みさである。これは彼の観察眼によるところが大きいのではないか。例えば1Q84に出てくる3号線の描写。西側のベランダにゴムの木があると描写している。そこに置かれる木はゴムの木でなければならないのだ。アジャンタムでもベンシャミンでも駄目なのだ。ゴムの木でなければ。高速道路に面したマンションのそれも高速道路から見えるベランダは滅多に開けられる事も無く、そこにぽつんと取り残されたゴムの木がいわずとこの物語の方向性を与えている。
私は一時期、伝説のバーラジオに通っていた。通っていたと言うほどの常連ではないが先輩にくっついて末席で静かにグラスを傾けていたのである。そのバーラジオで村上春樹氏や安西水丸氏、糸井重里氏にも邂逅した。同じような空間にいたのに彼の観察眼はそのまま彼の身となり肉となり筆致に生かされている。氷一つの描写も舌を巻かざる得ない。まさしく仕立ての良いオーダースーツのように無駄な物は無く、その言葉が文章にぴたっと収まっている。
話を「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」に戻そう。
もちろん、まだ1回読んだだけだし、内容を話すなんて無粋な事はしない。
ただ、冒頭から村上ワールド全開である。さらに物語に花を添える音楽の話題にも事欠かない。1Q84がヤナーチェックだったのに対して今度はどんな音楽が用いられたのだうか。読めばすぐにわかる。村上氏の文学はジェネレーション文化だと言う人もいる。確かに私もその点の面白さは前述のように理解できる。しかし、本作はそうじゃない物も書けるよと氏からメッセージを受けた気がする。これも読めばわかる。
凡人の私にはただ悪戯にギムレットやマティーニを飲んでいるだけで何一つ身にならなかった。ところが氏は違う。バラバラに分解咀嚼され再構築されている。そこが凡人と違うところだ。ノーベル賞を獲ろうがとらぬかは、私にとってさほど重要ではない。それよりも一冊で多く著作を世に出して欲しいと願うのである。これからも村上春樹にはご用心が続くと思う。レコードの針をスターターのブラックドッグに落としたものが、天国への階段に変わろうとしている。コーヒーは冷めてしまった。
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