生命のバトン
友人と約束した事がある。それは病気と孫の話はしないというものである。私は大いに共感し眷族を増やすべく周りに吹聴していたのだからこの約束は守らなければならないのだが、実は日曜日に娘が男の子を出産した。つまり私もおじいちゃんの仲間入りを果たしたのである。そこで私が体験した不思議な感覚の事だけはどうしてもお伝えしたいとこの禁を破り敢えて書かせて戴きたいと願うのである。
まわりの諸先輩方は皆口を揃えて孫は可愛いというのである。もちろん否定はしない。
ただ、私が感じた感覚は可愛いと愛おしいというものより、もっと不思議なものである。丁度宙に浮いたような感覚である。別に二日酔いしているわけではない。娘や義理の息子たちの事を廊下の空中からふわっと俯瞰しているそんな感じだ。
考えてみると自分の子育ての時期には年齢的にも経験的にも周りの事など見渡せなかった。ただ、自分の子供と妻を見ているだけだった。それが孫となると違う。俯瞰していると書いたが丁度ガラス越しに直接手だしの出来ない作業を見ているようで実感が無いのに繋がりを感じるそんな感覚だ。世の女の子を持つ父親の多くは恐らく娘の出産の時にこの不思議な感覚を持つ事になるのではないか。
娘も息子も大学の入学式には出席した。安藤忠雄氏に言わせればこんな親がいるから自律出来ず駄目なんだと言う事になろうが、私はあの入学式は親のリリースの儀式だと思っている。そう子をリリースする儀式だ。だからその後の行事には関わった事もないし、興味もない。
リリースした後は子供が考え決めて行く。それでいい。そして次の親離れは社会に出て働く事だ。そしてその次に自分の家庭を持つ事。そして最後が子供を育てることである。もちろん諸事情があってこの通りに行かない場合もあるだろうし、病気のため子供が出来ないと言った切実な問題もあるだろう。しかし、こうして親業を卒業していくのではないかと私は自分に言い聞かせている。
私の父は私の長女が幼い時に他界した。日頃の不摂生がたたったのだから自業自得と言えば言えなくもないが、ひとつだけ私が父にしてあげられたことがあった。それは孫を見せる事だった。そうは言っても孫と接する時間が長かったわけでもなく、数回あった程度だったが、父が娘を見た時の安心したような穏やかな顔が何故だったのか今なら少しわかるような気がする。
生物は子孫を残し、順繰りに死んでいく。これが一般的な摂理だと思う。ところが私は知り合いの言葉を思い出す。その人の子供は出産の時に脳に障害を持って生れて来た。とても一人で暮らすことは出来ない。両親はもちろん兄弟姉妹でその子を支えている。そんな人がポロッと一言「子供を残して死ねない」と言った。そう生命摂理とは順序が違うことを望んでいるのだ。その寂しさや悲しさはとても私には理解できるものではないだろうが、それ以来ずっと私の心にこの言葉は住み着いている。
父があのとき見せた柔和な顔は安堵の顔だったのではないだろうか。
父親としての自分をどう考えていたかしらないが、生物としての命のバトンを繋げたことを父はあの時俯瞰して見ていたのではないだろうか。
人は生まれる時多くの人の笑顔によって迎えられ、そして多くの人の涙で送られる。これが素晴らしい人生だと聞いた事がある。その通りだと思う。
所詮この世の事の起こった事は一瞬の幻のようなものでどのような名声もあの世では関係ないし、すべてが混沌とした中に埋もれて行く。
どんな子になるか皆目見当もつかない。親がどんな子にさせたいと思っても自由になるようなものではない。子供は子供の人生なのだから。ただひとつ親より長生きをして子供を親に見せてほしい。それが唯一のお願いである。勁草のように強くしなやかでなくても、韋駄天のように脚が速くなくても良い。ただ、親より長生きをして生命のバトンを繋いで欲しいそれが私の願いである。
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