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2013年5月10日金曜日

乗らずに逃げ出すねずみ


乗らずに逃げ出すねずみ

断っておくが私は原発容認でも反対でもない。出来れば原発は少なくなってほしいと思うし、一方では極端な電気料金の値上げは困りものである。
ところが原発事故の直後、テレビに出演して国民の不安を煽り、すでに家族は海外に移住させたと公言する輩もいた。さすがに最近は姿を見なくなったがマスコミへのリテラシーを持たない人や守るべきものが幼かったり、弱者だったりした人はこうしたデマに右往左往したのだからやはりこうした人は非理論的な感情に火を付けたヒトラーのような悪者である。
電力会社の関係者だと言い、如何に原発が危険かを紙面に掲載していた人もいたが、一方では同じ会社の人間が必死に処理を続けている。この矛盾は何だろう。
このところ船に乗ってから逃げ出すのではなく、船に乗らずに、如何にその船が危険かを説く人間が多い。リスクは対岸、自分は評論家である。私はこの評論家が大嫌いだ。何故なら、専門家と称する多くのこの手の人間は知性が統合されておらず、ある一面でのみ持論を展開する馬鹿だからだ。評論家と言うのは全体でしかものを言わない。世間の諸行には黒もあるし白もある。全体としてグレーに見えても本当はひとつひとつ違うのだ。
評論家の中でも経済評論家というのが一番始末が悪い。そもそも経済活動というのは大変複雑であって数値化出来るような単純なものではないと思う。例えばデフレとインフレと言われてそれぞれが諸悪の根源だとすればそれは禍福は縄の如しの例え通り、陰陽道の光と影に似ているのだから、所詮同じことの繰り返しなのではないだろうか。だとれば極端なリフレ政策はインフレを招き、その反対の緊縮政策はデフレを招く。
今、株高が止まらない。2万円に届くと言われている。でもそのあとは?
人間の欲望は止まらない。先人が経験してもまた同じことを繰り返す。
人間は老い易く死は自明の理。それに比べて自然は何事なかったように季節を繰り返す。身の丈を弁えず他人の物まで欲する人には幸せは訪れない。乗らず逃げるのであれば船の事は口外しないことだ。何も知らないのだから。



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