匂いの記憶
子供頃蝶に夢中になった。蝶の図鑑が私の愛読書。だから蝶の名前には今でも詳しい。
どんな捕蝶網が美しい羽を傷つけないのか、そして採りやすいのか今でも分かる。蝶を捕獲して紙に挟む前に小さな胴体に注射器をさす。蝶は絶命して標本となる。この残酷な儀式が済まなければ標本は出来ない。それでもおびただしい数の蝶の標本を作製した。
家の前にアオスジアゲハが蜜を吸いに来る生け垣があった。薔薇の花もあった。その生け垣がアベリアという種類だと知ったのはずっと後の事だった。ここにくる蝶は捕獲しなかった。いや、同じ種類の蝶は捕獲する気がなかったからだ。絶命させるのは一つで良いと子供心に思ったからだろう。薔薇の花弁の中に小さな昆虫がいる。はなむぐりというコガネムシのような小さな虫だ。今頃の季節になると一斉に色々な花が咲き乱れる。このアベリアの匂いは夏の始まりを予感させる。
匂いとはあらゆる感覚の中でもっとも原始的で脳の深部に伝達されると聞く。私の中でアベリアの匂いは夏の到来を告げる匂いだった。
あの夏の記憶はこのアベリアで始まる。
友達はいなかった。でも少しも寂しくはなかった。図鑑と捕蝶網があれば何億光年の冒険旅行が出来たからだ。
大人になって宮益坂の上にあった志賀昆虫社に通った。店内に入るとあの頃の夏の思い出がフラッシュバックのように蘇った。
私の夏の記憶はアベリアで始まる。今年もまたその季節がやってきた。
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