フランス料理との出会い
田舎の若造が東京に出てきて驚く事ばかりだった。友人に誘われて青学の学園祭に出掛けた。ステージでは数名の学生バンドが熱演していた。それがサザンオールスターズ、桑田さんとの出会いだった。他のバンドと比べるまでもなく音楽センスはずば抜けていた。その歌詞も当時としては放送禁止ギリギリのもので、でもどこか私達若者の気持を代弁していた。まもなく夜の歌番組に出てその後は皆さんも知るようにビッグスターへの道をまっしぐらである。
妻は昨年、桑田さんのコンサートに出掛けた。娘ほど年の離れた我が社のA女史がファンクラブに入っているためチケットが取れたとお誘いを受けたのだ。
娘の幼稚園面接の時、桑田さんご夫妻に待合室でお会いしたことがある。この話は娘たちに百編話だと糾弾されそうだが事実だ。もっとも興奮した私達は面接もそっちのけで二人の一挙一頭足に目が釘付けになり、結果、不合格だった。そして野生児のような娘は白金にある裸足で駈けまわれる幼稚園に進んだ。その娘も今は一児の母である。光陰矢のごとし。
丁度、そのころだったと思う。渋谷の並木橋にあった小さなフランス料理店が店をたたんだ。私達は閉店の前にもう一度行きたいと思っていたがそれは叶わなかった。
「アン・ヴォー・ルナール」というその店は渋谷駅に近い明治通り沿いの小さなビルの二階にあった。
妻と出会ったころ、妻はこの店で週一、二日アルバイトをしていた。アルバイトを辞めた後も、そして結婚が決まった後もこの店を訪れた。店主は小柄な人でいつも優しい目をしていた。
ごく普通のフランス料理はどれを食べても美味しかった。コーンスープにしても、パンにしても尖ったところか少しも無いのだが、妙に安心できる。フィレミニヨンの肉を切ればロゼの肉の断面から肉汁がうっすら皿にしたたり落ちるが下品ではない。美味しいステーキだった。
給料日の後など少し余裕のある時は、オマールエビを頼んだ。オマールエビを食べたのはここが初めてだった。そんなことを妻に察知されないようにあたかも食べた事のあるふりをしていた。内心、こんなに美味しいものが世の中にあるのだと感激していた。
私達が結婚式をしたのは芝にあるクレッセントハウスだった。妻の父親の参列を考えるともっと大きな式場が良かったのかもしれないが、私の頭の中には美味しい料理を食べてもらいたいという、私自身があの頃感じた喜びを共感してもらいたくてここに決めたのかもしれない。だとすれば私が初めてフランス料理を食べたこの店の影響が大きかったのだろう。
岐阜に赴任したマンションの階下がフラン料理店だったのも妙な縁を感じる。東京に戻った後も長男が生まれ、転職だの色々あって足が遠のいていた。けれども私にとってフランス料理との出会いは紛れもなく、この小さなフランス料理店である。
出店 渋谷「アン・ヴォー・ルナール 閉店」芝「クレッセントハウス」
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