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2013年5月9日木曜日

フライング アジフライ


フライング アジフライ

アジフライが美味しいと感じるようになったのは鎌倉に通うようになってからの事だった。

それまで私が食べていたアジフライは固い、魚臭い、不味いという悪の三拍子の揃ったそれはそれは酷いものだったからだ。
前にも申し上げたように私の生まれたKという北関東の街は内陸にあり、とにかく魚が少ない。ご多分にもれずアジフライに使われたアジは干物のような食感で薄くてどうにもならない代物だった。

東京に出てきても定食屋でアジフライを注文することは無かった。どうせ美味しくないという刷り込みのせいだろう。他人に美味しいと薦められても無難なコロッケやハンバーグを頼んでいた。鎌倉に行くようにならなければ一生アジフライの美味しさに出会う事はなかったと思う。

前飼っていたゴールデンレトリバーはメスでジーニーという名前だった。私達の家族に文字通り幸せを運んだ魔法の犬だった。この犬と夏休みは鎌倉で過ごした。子供達も幼く、毎日のようにプールに通い(当時はフリーパス券があった)真っ黒に日焼けした子供たちの隣にはいつもジーニーがいた。
犬を飼うと良い事がある。私のような風体でも犬を飼っていると言うことだけで色々な人が話しかけてくる。鎌倉ではよそ者なのに犬のお陰で友達も出来た。そんな中にUさんという地元の人がいた。その人は黒のラブラドールを飼っており、その犬はジーニーより2.3歳若いやんちゃ盛りのオス犬だった。気難しいジーニーも年下の子供には打ち解け、二人でよく遊んでいた。

当時の私達はまだ鎌倉周辺の事にも疎く、魚は角のMという店で買っていた。ここは雑誌にも紹介され観光客も多く来ていた。ある朝の散歩の時、Uさんが魚を食べるなら魚佐次が旨いよと教えてくれたので、少しずつこの店に通うようになった。
そんなある日、いつも買っていた魚屋が発泡スチロールのケースからアジの干物を店先に並べていた。箱の横には沼津漁協と書かれていた。どうやら私達は小坪産と書かれた沼津産干物を食べていたようだった。

魚佐次はどんな魚も外れはない。刺身ならばヒラメ、タイ、カンパチ、シマアジ、アオリイカなどどれを食べても魚の旨みが凝縮している。そして切り方がまた良い。鯛の刺身は薄すぎると弾力が感じられず、厚すぎると食感が悪い。絶妙な大きさ厚さである。

刺身を食べる事が多いのだが、贅沢な話で、毎日となると少し別の物が食べたくなる。
Uさんがアジフライも旨いよと教えてくれていたが、件の折り、旨いアジフライに出会ったことの無い性か今まで頼んだ事はなかったが、この日はたっぷりと波乗りをした後だったので猛烈にお腹が空いていてシマアジの定食だけでは少し足りない気がした。そこでアジフライを1枚だけ注文する事にした。

小さなお皿に尻尾がはみ出るような大きさのアジが真ん中に置かれて出て来た。衣はこんがりキツネ色に揚がっていた。アツアツの衣にウスターソースをかけるとじゅっとソースが滲みこむ音がした。口に入れたそれは私が今まで毛嫌いしていたアジフライとは全くの別物。魚の生臭さは全くしないどころか、良い香りがする。そして身は今まで生きていましたよと言っているように弾力があり、それでいて柔らかい。水分も丁度いい。私は瞬く間に一枚を平らげ急いで二枚を注文したのだった。シマアジ定食に3枚のアジフライが私の胃袋に収まった事になる。それ以来、アジフライは私の大好物になった。
目黒のさんまという話がある。私の場合は魚佐次のアジフライである。ここでしか注文しないスペシャリテな訳である。

このアジフライが時々山を越えて富岡まで出張することがある。まさにフライング、アジフライである。友人との美味しい一杯のためこのアジフライは飛ぶのだ。ジーニーが魔法使いだったのはどうやら本当らしい。





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