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2013年7月16日火曜日

HAPPINESS IS THE SAND BETWEEN MY TOES AND THE SUNBURN ON MY NOSE

HAPPINESS IS

THE SAND BETWEEN MY TOES

AND THE SUNBURN ON MY NOSE

その男は手作りの白いバルコニーのテーブルで手紙を読みおえると、手紙をゆっくりと封筒に戻し、節だらけの皺の寄った黒い手のひらで口元を押さえ、目をそっと閉じた。
その男はカンザスの小さな町で生まれた。その街はトーレンスから50マイルも離れた場所にあり雑貨店とガソリンスタンドの一緒になった店と小さな食堂が一件あるだけの街だった。
その男の家に父親はいなかった。父親はその男が歩くようになる前に家を出てい行ったきり帰ってこなかった。家には母親と二歳年上の姉がいたが、姉とその男は血が繋がっていなかった。
その男は18歳になるまで一度も街から出たことはなかった。
その男はハイスクールを卒業すると同時に運送会社に運転手として勤めた。
トラックはヘイズというインターミディエイト沿いの街から18時間掛けてロサンゼルスまで家畜の飼料を運ぶ仕事だった。
アメリカには州と州を結ぶインターミディエイトと呼ばれる道路がある。このトラックも1-70Wという西行きの道路をスタートし、デンバーを超え、1-15Sとその道路は名前を変えるが、辺りの景色は乾燥した砂漠のようで、スタートした時から1ミリも移動していないと錯覚するほど同じ景色だった。
その男は30歳になる時に初めて家を出た。ロングビーチ近くのトラックの運転手の集まる食堂で働いていたスワミーという女性と結婚したからだ。彼女はメキシコからの不法移民の子供で英語はあまり上手ではなかったが、最初会った日に彼女の黒い瞳の中に母の優しさと強さを感じた。
二人はサンディエゴから北に寄った海沿いの街に暮らした。その男は以前と同じようにトラックの運転手を続けた。妻は街の小さな食堂でウェイトレスとして働き、贅沢は出来なかったが、慎ましながら二人の子宝にも恵まれた。
二人は時間が空くと、家の目の前のビーチに出掛けた。北と南に岩場のある半月上の砂浜はいつも子供たちの遊び場だった。
その男は誰かから貰い受けたボロボロのサーフボードでサーフィンを覚えた。この辺りは寒流の影響で夏でも水温は低い。それでも裸のまま疲れるまで何回も何回もパドルアウトしていき、波がしらから見える妻と子供達の姿を見る事を楽しみとしていた。
息子が家を出たのは2年前になるが、既に娘は結婚して家の近くで暮らしている。息子は奨学金で大学を卒業し、シリコンバレーのIT関連の会社に勤めた。忙しくて帰ってくるのはクリスマスの時くらいだ。
手紙には病気の母親が死んだ事が記されてあった。化学療法で癌の治療を続けていたが、すでに1年前より手の施しようがないと医者に言われ、痛みを緩和する治療だけ続けていたが、2.3日前より呼吸不全に陥っていた。
母あれから一度も街を離れなかった。母はカリフォルニアで生まれたと聞いたことがあったので、本人に聞いてみたが、いつもはぐらかし、本心は決して見せなかった。
その母が死んだ。海を見た事があったのだろうか、いや見たくなかったのだろうか。
キッチンから妻が暖かい紅茶と手作りのマフィンをダイニングテーブルに持ってきてくれた。戸外に出てそっと肩に置いた妻の手が暖かかった。その男はバルコニーからビーチサンダルの砂を落として妻の後ろから家の中に入って行った。





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