ドラマツルギーな挫折とターニングポイント
人間は歳には関係なくドラマツルギーであるが、特に若い時にはこの挫折が大きい。挫折の原因となるのは自らの演目を観客が評価しないことにある。当たり前と言えば当たり前なのだが、社会の一般性をまだ経験していない、ある意味では純粋無垢な心がそうさせるのだろう。その挫折を味わうからこそ、その先の成長や発展が見込める。若者はその時、その事を知らない。
若者はジレンマを起こし、自傷までして傍若無人に振舞う時期がある。人によってその時期も異なるであろうが、私の場合は高校2年の時だった。
ある時に目の前が真っ暗になり、先が全く見えなくなった。信頼していた友人の裏切り、狡猾な大人達、八方塞がりの状況は若者の心を大きく傷つけた。恐らく人生最大のこの危機こそ、人生における最大のターニングポイントだったと思う。
考えてみるとその時の社会が人の一生の考え方の基底になっているように思う。資本主義への反骨、平等主義、反戦それらすべてがアマルガムとなってルサンチマンの如く若者を凌駕する。私のその時は1974年だった。あの当時の世相が今の考え方の基底にある。夢を抱き突き進んだ先輩たちの学生運動は全て何もなかったように世の中は平然としていた。そんなことを口にする事さえ憚られた。世の中にも、大人にも信用する術を持たない。
それから4年私の1978年はその続きだった。平穏な大学は戦う事を止め、豊かさを求める。企業戦士として資本主義に仕えるその前の一瞬としての執行猶予。苦しみや悲しみを放棄し、楽しさだけを追求したあの頃。何もかもが反対だった。
しかしいくら楽しさや豊かさを追求しても若者の心の奥にある乾きは癒えない。癒えないどころか一層激しくなる。ぎらぎらしたおどろしいまでの情念は深い淵の奥に隠され平和と成長と言う謳い文句によって封印された。
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