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2014年1月18日土曜日

残る建築物

家守の仕事を30年近くしていて、色々な建築物の企画に携わってきた。個人住宅なら施主の思い通りに作れば良いと思う。しかし、収益を得て、事業を行うとなれば別である。
今考えると、予算が十分にあり、思うように設計した建物で今でも輝きを失わないで存在しているものが少ない。もちろん設計士の個人的資質によるところが大きいのだが、つい予算があると過剰な演出までしてしまう。一番、カッコの悪い建物は少し前に流行ったものの流行遅れだ。建築物の賞味期間はファッションと比べれば長い。償却期間が60年とは言うものの、そんなに長い賞味期間を続けられるものではない。せいぜい20年から30年だろう。30年前の建物といえば、新建材が持てはやされた。解体されている赤坂プリンスホテルなどに使われたエオパリエという大理石風のあれである。そして円柱。大小交えて色々な建物でこれでもかと言われるくらい使われていた。今それらを見ると物悲しささえ覚える。
建物はできるだけ薄着が良い。これが私の結論だ。造形や構造は大切だが、うわべは出来る限り薄く、厚着をさせない。タイルや石も出来る限り少なくしたい。鋼板で覆うなんて絶対にしない。そして古くなった姿を想像できるものが良い。
70年代の井の頭線沿線には大きな屋敷が結構あった。浜田山の南側もその一つだった。緑に囲まれた邸宅は緑の絨毯が広がり、青い水面をきらきら輝かせているプールが見える。建物は木々に囲まれてひっそりと佇み、丁寧に手を入れされた外壁のペンキが木の質感を際立たせていた。松の木にはとんびが一羽とまって私たちを睥睨していた。
建物は美術品とは違う。使ってなんぼ、住んでなんぼのものである。使われ経年経過して初めてその真髄を発揮する。それを考えていくことが企画者の矜持でもある。







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