オリンピックで金メダルを獲ったフィギュアスケートの女性がテレビのコメンテーターの質問で、当時のことを思い出し、その時自分やまわりの事をとても客観的に見られた、自分に驚いたと言っていた。人間有頂天になると目の前のことしか見られない場合が多い。これはスポーツに限ったことではなくビジネスの世界でも同じだ。
よく趣味を仕事にしている人がいる。多くの場合は結果的に失敗をしている。成功体験というものは厄介なものでそれに縛られると前を見られなくなる。大きな失敗体験も同様だ。戦争でそのような苦い辛い経験をした人が日常生活に戻れない場合は極度にその体験を忌避する傾向が続く。もっとも、その戦争についてもっと多くの情報を得ていた上官や士官はそうならなかったという。彼らは失敗をある程度予測していたのだと思う。それを証拠に戦争から戻ってビジネス社会で頭角を表した人が少なくはない。前者との対比は皮肉なことであるが事実のようだ。結局、それはその時に自分を客観的に捉えられていたのか否かなのではなかろうか。
失敗している人は総じて客観性が足りない。何故自分がそうなってしまうのか理解できない。そしてその人の周りも同じような感覚の人達が集っている。
先日、フルサービスのガソリンスタンドで従業員がキャップを閉め忘れ走行中にガソリンが吹きこぼれた。妻がスタンドに苦情の電話を入れたが、車を持ってきたら洗車をサービスすると言ったそうだ。それ以来、そのスタンドは使っていない。従業員も悪いが、その上司の感性に疑問を感じる。恐らく同じような失敗は無くならないだろう。
これに似たことが冷凍食品の農薬混入事件でも言える。罪を犯した人間が一番悪いが、売り物の商品をつまみ食いする習慣を何とも思わなかった、いや思ったとしてもその事を共感させられなかった中間管理職も同様に悪い。そういう組織にはそういう人が残るからだ。だから起こるようにして起こった事件でもある。
フレッド・ラルク・ヘルドというベイン&カンパニーの重鎮が一番のロイヤルティはその商品を自分の家族に勧められるか、とうかだと言っていた。恐らく、このつまみ食いをしていた工場では誰一人家族に冷凍食品を勧めようとは思わなかったはずだ。
トップや中間管理職は人がいなくなる心配が先立ち、違う色の人に媚を売ってはならない。結局、そういう人は大きなしっぺ返しで恩を仇で返すのだから。魚住む水を選ぶ例えの通りまずは自分を律し、共感力を高め、安心で安全な集団社会を構築することから始めるべきだと思うのだが。
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