以前にも視座の転換が重要だと言ったことがある。私の仕事、コンサルテーションとは言わば聞き役である。間違っても自分の意見を押し付けてはいけない。聞いて、聞いて、そして聞いて相手が満足した所で暗喩のように相手の考え方や行動が間違っていると感じたら視座の転換を図ることを勧める。それでも多くの人は視座の転換をすることは出来ない。
ある人の言葉を思い出す。事業を失敗した人に次はない。あったとしても同じように失敗する。確かに多くの人は自分の再起を図るとき、一定の愚行については理解はしているが全てではない。特に視座の転換が出来なかった自己に気づき修正できる人はまずいない。これは自戒を込めいつも心にしている。
これは視座の転換が出来た稀有な例である。
首都圏の地方都市で小さな進学塾を経営していたその男は、生徒の母親に向かって、少子高齢化と景気のあおりを受け、大手の会社も含め教育関係のところはどこも厳しい経営が迫られているとマスコミ評論調の愚痴をこぼしていた。するとその母親は自分の周りにも働きたくても働けず、働けたら子供を塾に通わせたいと言っている人が多いという。その母親は看護士をしていたが、両親と同居で子供の面倒は祖父母が見ていた。病院の勤務は夜勤も含めて24時間制で子供が預けられなければ子育てと仕事の両立は難しいらしい。その話を聞いた男は保育園の実体を調べ始めた。すると母親が言っていたとおり、潜在的な勤労意欲のある母親がいても、保育園がなく働くことの出来ない母親が多いこと。そして、病院側も慢性的人手不足に悩まされていることだった。
その男は次に現状の保育園についての問題を抽出してみた。一番は保育士の確保である。保育士は過酷な労働に比して賃金が安い。そして社会的地位も低い。では労働条件を改善し、ステータス性をもたせるにはどうしたら良いか考えた。
まず、保育園を開園する場合の土地や建物の建設コストが経営に大きくのしかかる。それを克服するのはオフバランスの経営である。土地、建物を相手に提供させ、オペレーションに徹することだった。
もう一つはその保育園をオープンなものにするのではなく、ある特定の利用者に限る経営手法だった。その意味では有名な大学病院を保育所にすることは好都合であった。こうして経営方針を固めているうちに規制緩和の追い風が吹いてあちこちから保育所運営の話が舞い込み、急成長したということである。
もちろん地域に根ざしオープンな経営で質の高い保育を実践しているところもあるのでどちらがどうという話ではない。
色々な経営者が業界や景気の話をする。景気が悪ければ業績は悪化し、良くなれば回復するものだろうか。そんな事はない。考えてみてほしい、白黒の丸が並んだ大きな紙面を見て遠くからグレーだという人がいたとしても、実際にひとつ一つは白と黒なのだからつまり景気もその企業によって違うのが当たり前だ。
ある経営者は景気の話をしない。それよりもどんな時に聞いても「ぼちぼちでんな」としか言わない。その経営者は中々のものである。絶えず感度の良いアンテナを張り巡らし、視座の転換を図っている。そうそう、りんご箱だけがどうして真鍮の大きなホッチキスで止めなければならないのか、その事に疑問を持った彼は独自の梱包箱を開発してしまったそうだ。視座の転換を図るにはまず些細な事に耳を傾けることではないか。
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