私は毎朝、父が息を引き取った病院の前を通って会社に通っている。理由は高速道路の出口に位置しているためその場所を通らなければならないのだ。その病院は最近建て替えられたばかりで当時の汚くて消毒薬臭い病院の姿は何処にも見付けられないが、何故か私はそこを凝視できない。
父が危篤でこの病院に運ばれたとの知らせを受けた時、私は岐阜に赴任していた。父は元気なとき一度だけ岐阜を訪ねてきたことがある。妻が好物の料理を作って何日でも泊まっていって下さいと言ったのに翌日にはもう出掛けていた。それ以来、父には会っていない。
父と私が特別に不仲だった訳ではない。私は自分の生活に精一杯だった。母と父は既にその頃離婚していて父は一人暮らしだった。
父は台湾によく出掛けていた。あちらで陶芸の指導もしていたようである。私に台湾の友人から貰ったという手紙を見せてくれたことがある。父は得意そうに便箋に書かれた先生という文字を誇らしげに私に見せたが、台湾では普通の敬称で誰にでも付けることは知っていたが、父には話さなかった。
父は夢を見ていた。アムール川のほとりで岩陰に隠れているのだろうか、細身のルガー拳銃を手にしている。父はあの頃体験した馬賊と一戦を思い出していたのかもしれない。
人は死ぬ前に自分が一番輝いていた時を夢見るそうである。死と隣り合わせの瞬間ほど輝かしいものはないから。私はどんな夢を見るのか今から不安である。
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