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2014年2月6日木曜日

ハンバーガーとの和解

私と同じ年齢の人でも東京や大阪など都会に住んでいた人と北関東の外郭の街に住んでいた私のような人間とでは年月にして6.7年、時間にして6万時間も遅く現代(イマ)がやってくる。流行語にもなった「今でしょう」だってシンコペーションのように一呼吸置いてやってくる。どうりで福島生まれの細君の祖母と話があうわけである。だが、こうして現代とズレた人間を一般には田舎っぺというそうだ。この歳になれば田舎っぺ大いに結構、それだけ昔の時間を長く体験させてもらったのだから有難いというべきだ。

私の家が水洗トイレになったのは小学校の高学年であったし、薪の五右衛門風呂がガス式に変わったのは中学生になる頃だった。よく雀が煙突に間違って巣を作ってひなが落っこちてきた。洗濯機が自動になったのはもっと後のことで、ハンドルを回してクシャクシャの洗濯物を干すのも一苦労だった。
ファションにして都会で流行っている垢抜けた洒落感を出そうと思っても、田舎の質実剛健、長持ちが一番が顔を出す。何かしら都会のそれとは違う。
食べ物だってそうだ。ハンバーガーと初めて邂逅したのはミミズクという高校の正門近くにあった自販機だった。サラミソーセージのような薄っぺらな肉が中途半端暖められたフニャフニャベトベトのパンの中に見えないように入っていた。ただ、有無を言わさず辛子だけが異様に沢山入っていた。

こんな風にハンバーガーとの出会いが悲劇的だったから、その後もハンバーガーとの相克は続いた。何故、美味しいのか分からない。だから、上京してからもハンバーガーショップには目もくれず、ひたすらガツン系の食堂に足が運んだ。

ハンバーガーと和解したのは結婚して2.3年後だった。娘を始めて海外に連れて行ったグァムでのことだった。タモンビーチにバドワイザーのロゴをでかでかと車体に入れたトラックがハンバーガーを売りに来ていた。数枚のドル紙幣でハンバーガーを2つ買った。お腹が空いていた事もあるのだが、牛肉に変な手を入れずただ炭火で焼いたシンプルなそれは太平洋の夕陽のように私のお腹を満足させてくれた。

それ以来、ハンバーガーとの仲は不仲ではなくなった。時折、何千円もするハンバーガーなのに美味しくないものに遭遇することがある。そんなときはあのミミズクのハンバーガーの霊が財布の淵当たりにうろついているような気がする・・




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