クリステンセンのこの言葉を引用するまでもなく、我々がイノベーションの渦中にいるとそのイノベーション自体を実感できないばかりか、イノベーションが起こっているその事実さえ忘れてしうことが多い。
20世紀は自動車の時代だったと行っても過言ではない。自動車を作り、売ることで企業ばかりか国も巨大な利益を上げてきた。何故、巨大な利益を上げることが出来たのか。それはこの産業の持つ構造的特異性に他ならない。自動車は他の工業製品以上に複雑で多様な部品を必要とする。よって自動車メーカー本体に多くの関連業者がまるでクリスマスツリーの飾りのようにぶら下がっている。従業員の数名程度の零細業者から何兆円も売り上げる部品メーカーまでありとあらゆるところにその枝は広がっている。
こうした巨大な物づくりは為替という外敵要素により、一国市場主義からグローバルな物づくりへと転化されたがその根幹は変わらない。
日本ではトヨタが水素燃料車の開発に躍起になっている。国もこれを後押しするというが、ドイツのBMWなどはいち早く開発に取り掛かったが、結局その開発は頓挫した。
数年前に西海岸のテスラモーターの車を試乗する機会を得た。色々な車に乗った私が一番驚いた。もはや既存の自動車の概念では語れないところだ。エンジンがないということは部品数は10分の一いや20分の一かもしれない。そして壊れるところが少ない。
さらにテスラが見据えているのは自動運転機能だ。ドライバーが居眠りをしても安全に目的地まで到着することが出来る夢の様な機能だ。もはや20世紀の自動車とは全く別の乗り物である。
国内の多くのメーカーはその優位性を認識しながらも一歩踏み出せずにいる。当然といえば当然の帰結だ。自らの首を絞めアポトーシスを起こさせるこんな強力な思想は売れ入れられないのは当然だ。まさにイノベーションのディレンマである。
しかしどうだろう、現在の若者の多くは車に夢を抱かない。エンジンフィールがどうの、吹け上がりがどうのとエンスー宜しく拘るのはおじさん達だけだ。若者は快適に移動できれば良いと考えている。ボンネットのエンブレムもブランドも関係ない。ならばこのイノベーションが広がっていくのは時間の問題なのではなかろうか。
一人水平対向6気筒のエンジン音を聞きながら音のない車の明日を思うこの頃である。
2015年2月
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