報道等でご存知の方が大半だと思います。我が国のトップ企業のことです。
金融危機のずっと前にこのことに警鐘を鳴らしている本がありました。キィワードは「グローバル化」「外需依存」「為替差益」です。ミルトン・フリードマンのベストセラー「フラット化する世界上下巻」では「フラットに乗り遅れないことが肝要」と説いていましたが、この著者は「グローバル化に安易に乗る事こそ危険」であると。さらに「企業は1ドル90円程度(そのときは140円)でも耐えられる構造に変革するべき」だと言っていました。日本の産業構造自体が電気産業から自動車産業にシフトしていくなかで、私が一番感じることはそれらの産業が「コアコンピタンス」たる技術力を獲得しえたかどうかです。確かに「コアコンピタンス」を獲得したとしても「グローバル化」した社会では瞬く間に技術は変移します。しかし、自動車という乗り物が未来永劫私たちの移動手段として残るものなら別ですが、たぶんに20世紀的乗り物だとしたら、自動車そのものは著名な経済学者の宇沢弘文によれば「不経済」な訳ですから、いくら燃費や環境効果を謳い文句にしても、心躍る「愉悦」が必要なのではないでしょうか。
レクサスにしても、最新型のクラウンにしても、道具として割り切ればこんなに信頼の出来る道具はありません。K井さんが言っていたように砂漠でどれに乗ると言われれば間違いなく「ランクル」を選びます。しかし、私にはカローラもレクサスも全く同じ車に感じます。つまり高い技術力とは単なる機械としての機能にこのシンパシー「共感力」を付加したものなのではないでしょうか。残念ながら世界中の自動車業界はこのシンパシーを失いつつあります。BMWもメルセデスもフェラーリもポルシェも例外ではありません。このようなことを考えつつ、休日の朝刊を読みました。
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