パスタブックよろしくニューヨーカーの編集者が著したこの本を読んだ。確かにグーグルが行っているかことは革命というにふさわしい革新的なことであることは十分理解できる。
前出したようにクラウドコンピピューティングは時代を一掃する能力を秘めている。
ただ気になるのはグーグルが完全なるエンジニアリング中心の会社であり、自らは「邪悪なものは存在しない」としている点である。
邪悪な存在といえば村上春樹氏の1Q86にも登場するリトルピープル、オーウェルの1986を読んだ人はビッグブラザーだと思い出す。そうこの邪悪な存在のことだ。
どんなに聖人君主だとしても、人間なら多面性を併せ持つのが普通だ。正義なるものも、邪悪なるものも存在する。そんなときに如何にしてその暴走を止めるのか、それはシステムではない。人間である。しかし、コンピューティングの開発に没頭するあまり、自らを邪悪でないとするその態度こそ問題である。つまりエンジニアの言っていることは、どこぞの宗教と相通じるものを感じるのだ。
無宗教の私には少しぞっとする話ではある。
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