母方の祖母が亡くなって10年になります。娘も息子も祖母が大好きでした。もちろん兄弟のいない私は東京から祖母が来ると聞くと、待ち遠しくて指折り数えて待っていました。
祖母は決まって浅草の松屋デパートの舟屋で芋ようかんとあんこ玉、それに大きなお好み焼きを買ってきてくれるのでした。
そかな祖母は訛りがありませんでした。考えてみれば祖母は赤職人(銅の職人)の祖父と麹町一番町で暮らしていたといいますから、江戸っ子だったのです。
家作はもちろん借家です。
戦争で祖父を兵役に取られ、自らは3人の子供と共に満州に渡り、ソビエト兵の銃撃に合いながらも命からがら全員無事に帰国したのですからその労苦は大変なものです。私も妻も何十回もこの話は聞かされました(笑)
そんなこんなで祖母はいつも穏やかでした。怒る事なんか見た事がありません。
しかし、その江戸っこのように潔い言葉の中に、前述の武田百合子さんの文章ではありませんが、日本刀のような切れ味の鋭く、何事にも同じない気位、物事への鋭い洞察を感じることがありました。
今更ながらこういう大人が少なくなったことが嘆かわしいことです。
秋口になったら八王子まで墓参にいくつもりです。祖母の好きな水色の花を持って・・・・・
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