私が詩を読んでいいなあと思うようになったのは30歳を過ぎていた。
勉強のために読む詩集くらいつまらないものはない。
30歳を過ぎて谷川俊太郎さんの詩集に出会った。彼の処女作でその詩集は「20億光年の孤独」だった。
彼が二十歳そこそこで書き上げた処女詩集と言うからもっと驚いた。私は30過ぎまで知らなかった。
茨木のり子さんの「依りかからずに」も良い詩集だ。しかしなんといっても彼女の作品では77年に発表された「自分の感受性くらい」は脳天をガツンとまるで打たれた気分だった。ここでその詩を紹介する。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(詩集「自分の感受性くらい」S52.から)
詩の世界も新しいムーブメントが登場している。「Oblaat」(オブラート)はメディア自体を詩的な操作対象にしたデザインレーベル。 本の世界に閉じ込められていた詩の仕事を、プロダクト、空間、情報技術の場で展開する。
その第一弾がこのポエミクロという200ミクロンの大きさに文字をして、前述の谷川俊太郎さんの書き下ろしの詩を閉じ込めたもの。
顕微鏡で現れる言葉がガラスを通して意味を持ち、訴えかけてくる・・・・面白い
詳しく知りたい方はこちら
http://oblaat.jp/
詩集を暫くぶりに開いて見たくなった・・・・・・
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