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2011年3月13日日曜日

宿痾の国民性 矜時をもって・・・

1973年のオイルショックを高校生の目で観ていた私はなんでこんなことに必死になるのか全く分かりませんでした。争ってまで取りあったトイレットーペーパーを自慢げに自宅に持ち帰る人の姿を見て冷めた目で観ていたのです。゛きに騒動は収まりスーパーには溢れんばかりのロールの山が物悲しげに並んでいたのです。

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今日私はつい咳き込んでしまい、腰に激痛が走ったので自分でハンドルを握り整形外科に向かいましたが、スーパーの駐車場と同一のため既に満車です。向かいのいつもはガラガラのドラッグストアの駐車場に止めようとすると長蛇の列です。そういえばスタンドも長蛇の列です。

ハンドルを切り返して切れた電球を買いに別のホームセンターに行くとこちらも大混雑です。電池は1つもありません。カセットコンロもです。電球はありましたから買いましたがどうしていつも用意していない人たちが烏合の衆宜しく買い漁るのでしょうか?

義父は故郷の宮古と今も連絡が取れません。マスコミの報道では全壊した地域と聞きます。今一番必要なのは被災者の人達ではないのでしょうか。私はそのことを思うと我先に買い求めることは出来ません。

私たちに今できることはまず被災した人たちに優先的に物資が届くように考えるべきです。ホームセンターのマイクで「店頭の商品が無くなったら次の商品はいつはいるか分かりません」これもあの時のトークと全く同じです。

私たちに出来ることそれはまず被災者やその家族に優先的に物資が届くように「遠慮」することです。そして、いち早い復旧のために被災地の地場産業を1生活者として支援する(特産品を優先的に購入する、観光として復興後の被災地に行くなど)ことです。

日本人のこういう行動を見ると自らを弱きものとして都合よく定義し、その場をしのぐ暗澹たる精神を感じます。このブログを見ている人は「武士は食わねど高楊枝」といこうじゃありませんか、私たちは矜時を持って行動しようではありませんか!!!

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