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2011年8月28日日曜日

エアポート DELATE

レンは日暮里駅前の喫茶店に12時より少し前についていた。店には入らず入り口でレイを待っていた。

初冬というのにこの頃の東京は暖かい、街を行く若い女の子は相変わらず「生足」にミニスカート、中には半そでのTシャツスタイルのものもいる。

遠くから小さなトランクを引きながらレイがまるで焦点を合わせ間違えたファインダーののようにぼんやりした姿でこちらに向かって歩いてくる。レンはもともと悪かった視力がこのところさらに悪くなり、本当なら眼鏡を作り変えなければならないのに忙しさにかまけてさぼっていた。

レイが見上げるように「何でお店にいないの」というと、「今日、午後休みが取れたんだ。それで友人から車を拝借することが出来たから送っていくよ。時間あるのだろう」

「フライトは夜なの、少し早く行って空港であちらの家族に日本らしいお土産でもと思っていたくらいだから大丈夫」

二人はTで始まる黄色い看板は東京ではどこでも目にするコインパーキングに止めてあった車に乗り込んだ。

レイは大学院に進んでいた。レイの画風は大学四年生の頃から変り始めた、今まで全ての絵の具を総動員するような作風から、黒の濃淡に僅かに数色のみ使だけを使う、まるで墨絵を思わせるものに変っていた。元来水に仕事をさせることの旨かった彼女の絵は、周りから高い評価を得ていた。ある大きな展覧会の主催者が文部科学省とフランス大使館であったことから最優秀賞をとったレイにパリ留学の話が持ち上がったのだ。期間は1年間、ホストファミリーの家で暮らし、パリの美術学校に通うのだ。レイは当初少し迷っていた。レンと離れ離れになることもそうだったが、果たしてパリに行くことが自分に良いのか迷っていたからだ。それにパリには海が無い。

車は酒々井を通り過ぎ空港は近い。レンは確認するように独り言をいう「成田市外方面にはまがらず、空港を目指す」レンは一度間違えたことがあるからだ。

クリスマスにはまだ日数のあるこの時期の空港は日本からの出発する人はあまり多くなく、また空港というところは電車にラッシュアワーがあるように発着便の集中する時間帯があって、それを過ぎるとすうーと人がいなくなる。丁度いまそんな時間帯だった。

レンは空港が好きだった。海外に行ったことはほんの数回だったが、空港の行き先の掲示板に示された発着地や時間の表示が刻々と変る様子を見るのが好きだった。今は液晶表示版に多くが変ってしまったが、パタパタと日めくりカレンダーのように音を立てる昔のものは機械がきちんと仕事をしてくれているという妙な安堵感も加わり、レンはその音も楽しんだ。

レイはあらかた荷物はホストファミリーに送りつけてあったので、今日は小さなトランクひとつだ。レイのトランクはレンが選んだ。レイが最初に選んだのはフランス製の軽量のスーツケースだったが、レイは紙に特殊加工して強化したこのスーツケースが好きだった。スーツケースは全体はオフホワイトで真ん中に2本のベージュの皮ベルトを施してあるクラシックなものだった。何よりレイに似合っていた。

カウンターで手続きを済ませると荷物の引き換えタグを受け取りチケットを確認した。いつも思うのだがこの搭乗券という紙切れには普通の人にはわからないような記号が何箇所も書かれている。
その意味が何をさしているのか。いつかは全て解明してみたいとレンは考えたことがあった。

上階のおみやげ物店に入り、数本の扇子とゆたか地で作られたハンカチ、日本人形を買った。ホストファミリーには12才になる女の子がいると聞いていたからだ。父親は大学で日本文化を研究教授をしているらしい。

昼食を食べていなかったので、二人で和食のレストランに入った。レンはうどんとカヤクご飯のセット定食、レイは暖かいお蕎麦を注文した。

レイが「行くことにはやっと吹っ切れたけど、やっぱり海がないのが嫌だなー、パリの空って特に冬はどんよりしていて、低いっていうじゃない。それは嫌かも、これがカリフォルニアだったらどんなに幸せか、あーあ、暫く海見られないんだろうな」

「そうだね、俺も忙しくてずいぶんと海見てないから分かるよ、別になんでもないんだけど、海の音や風は物凄くパワーをくれるからね。あれって、人間が生まれる前、子宮の中で聞いていた音なのかもしれないという人もいるくらいだからね。科学的には分からないけど妙に納得する話じゃない」

レンはレイに同意していた。二人の何気ない会話がとぎれるころ、レンは渡したいものがあるとデイパックのポケットから小さな箱を取り出した。箱は水色の包装紙に銀色のリボンで包まれていた。

「これプレゼント、君の誕生日が日延べ日延べで今日になってしまったゴメンね」

レイの誕生日は8月だった。レイの誕生日の頃にレンは徹夜で研究発表の論文を仕上げにかかっていた時期で二人でもっとお祝いは後にしようと決めていて、そのままずるずると今日まで来てしまったのだ。

「開けてもいい?」

レンはにっこり頷いた。

箱の中には銀色のペンダントが入っていた、十字架に小さなダイヤモンドが散りばめられている。レイがショーウィンドウを見ながら冗談にこれが欲しいと言っていたものだった。レイは「こんなに高いものどうしたの?」とレンに言いながらもうれしさは隠せない。レイは早速付けてみた。

白い綿のシャツの胸元にそのペンダントはとても似合っていた。

「俺はいつ一人前になれるか分からないけど、いつか海のそばで暮らしたいな。出来ればレイと一緒に。犬は絶対ゴールデンリトリバーを買うんだ」レンは笑いながらも真剣にレイの目を見ていた。

レイは小さく頷いた。レイはそのまま下を向いていたが、足元にポトリと一滴が落ちた。

空港の掲示板はレイの乗る飛行機の遅れを示す「DELATE」を示していた。直行便なのに何故と考えたが、機体トラブルのようだった。レイもレンもずっとこの「DELATE」が続けばいいと思っていた。

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