断っておきます。ライプニッツのモナド論ではありません。一般的に用いられる予定調和とはあることが大体予想できる場合のことです。水戸黄門様が悪党を懲らしめるあの場合のようなことです。
何でこんな事考えたかと言うと、お正月に観ていた某テレビ局の対談の中で私などよりずっと若い人が、年金問題を熱く語っているのでした。
さらに原発の後、食料品を買う若い母親に原発の放射線の事をアナウンサーが訪ねると、みんな決まって東北産の食品を嫌悪する画像が流されていました。
この二つに共通する私の違和感は何だったのか?
分かりました、私は一度も年金の事も、放射能の事も真剣に考えた事が無かったのです。
シジイだから仕方ない、確かにそうかもしれません。
しかし、年金なんてどうせ貰えないだろうと思っているし、年金に寄りかからねばやっていけぬ老後など糞くらえと思っている訳ですから仕方ありません。
何故、若いのにみんな平均的答えを好むのでしょう。そう予定調和です。
世の中、マスコミや政治家のいうように未来は思うようになりません。不確実なものです。
病気や怪我も予定調和のようには行きません。いつ、我が身や家族に起こるかもしれないのです。
子供は小さいから放射能の影響を与えたくないと毎日ガイガーカウンターを計測している人の映像を見ると、心底ぞっとします。
人間の運命とはまさに神のみぞ知るです。ビートルズのLet it be・・・・そうです。なすがままです。
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