会社では毎年その一年を振り返り、さらに翌年の方向性や指針を書面で記していましたが、昨年来、媒体の変化、つまり紙や物からクラウドを利用した媒体への劇的変化を垣間見たこともあり、ここに記すことにしました。
2011年は変化の年でした。私の会社が何か変化したという訳ではなく、世の中の色々な事(戦後のアンシャンレジームから続いた経済や社会システム)が音を立てて崩れたような気がします。
三浦氏の著書「3.11以降の建築と社会デザイン」にも同様なことが記されていましたが、高層タワーマンションの人気が衰え、より安全な建物に傾倒した建築業界もしかりでしょう。
原発という国策を良くないと知っていても自分たちの利便と引き換えに口を噤んでいた国民が何か変だぞと気づき始めた年でもありました。
一方、マスコミや多くの評論家が、それぞれの理屈で原発や原子力について国民にアピールしだし、情報の非対称性を強く感じる年でもありました。一億総評論家時代???
一方、価値観の多様化も眼を見張るものがあります。我々の世代が大切だと思っているような古い価値観は上書きされ、その本質は見えなくなってしまいました。丸山眞男を読み返して研究したのもそんな古層を読み解くためです。
それが悪いということではありません。ただ、上書きした以上、当の当人がカンテラを照らしてもらわなければならないのに、陰に隠れて世捨て人を演じていたのではこの国は良くなりません。
今のような危機的状況を変革するにはこの3.11という大災害は実は良い機会なのです。
年初テレビでジョンダワーが言っていたようにこの機会つまり大きく空いたチャンスの口はずっと開いている訳ではありません。1年もすると旧体制、権力側が支配する事になり口は閉じてしまうのです。
今まさにその口は閉じようとしています。
世界に先駆けて原発から新しいエネルギー自足社会への移行もまるで進んでいません。
ゴールデンウィークにテスラモーターの電気自動車に乗り、ガソリン自動車の将来は知れていると確信したのであります。だからこそ旧態然とした車にこれが乗り収めとして詭弁をふるって乗っている訳ですが・・・
マイケルスペンスになぞらえて言えばとにかくその変化のスピ-ドはマルチ化しているのです。
個人的な話題に戻すと、昨年、鎌倉に小さな部屋を持ちました。
もともと海の近くで生活したいと思っていたので夢の実現です。
セプとさくら、好きなものに囲まれて暮らしたいとふと考えてみると、私の好きに物はあまり高くないものばかりなのです。海で拾った流木や貝殻、長年使ったサーフボードのシングルフィン、70年代のアメリカの写真・・・・
Sabbyという言葉がぴったりのものばかりです。良く言えばSabby Chicです。
そんなものが好きだったんだと改めて考え直したものです。
2012年はどんな年になるのでしょう。ルービニ教授が言うように世界は同時にリセッションになるのでしょうか?
年明けのNYの株式市場の好調とユーロ安、ドル安の継続、あまりにも現実世界とかけ離れたこうした経済指標さらに混迷を深める沖縄問題と日米安全保障、米国大統領選におけるオバマの自信などなど・・・・あまりに深く悩まされます。出口の見えない深い闇のようです。
しかし終わらない夜がないように厳冬のこの時期にもこぶしの木の芽は膨らみ春息吹が感じられます。
一陽来福、日が長くなっています。
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