よく若い人に言うのですが、「定年後に蕎麦打ちをしたい」という人間になっては駄目だと。
もちろん蕎麦打ちは例えであって、要するに若い時から継続して好きな事を見つけて続けなさいということなのです。
私は今でも一向に上達しないサーフィンを30年続けています。時には年に1回しか海に行けないこともありましたが、つないでつないで30年間、頭はいつも海と波の事を意識し続けました。
サーフィンは色々な事を教えてくれます。人間の非力さ、自然の偉大さ、波を分け合う精神、年配のものが若い人を導き成長させる力・・・・・・その時々で感じるものが変化してくるのです。
読書にしてもそうです。試験や一夜漬けの知識はすぐ飛んでしまいます。読書というのはいわば習慣のようなもので、継続していなければ重荷になるだけです。
学問と言うのはそうした「いつ使うか分からないものを頭に刷り込む作業」なのです。
ですから労力を掛けて刷り込んだ知識だとしても一回も役立たずに終わることだってあるのです。
でも刷り込まなかった人には永遠にその知識を使うことは出来ないものなのです。
今好きな事が無い人は、なんでも良いですから、これが良いと感じるものを見つけて下さい。
MacBookの形が好きだというのでも、ねずみ型のマウスが気に言っているでも良いのです。意識して好きか嫌いか考えてみるのです。
そうすると次第に(年月は掛ります)その人間の歴史が現れてくるのです。私は好きな事を見つけることは人間の歴史を作る上で大切な作業だと思っています。
どうもこの好きな事というのが無い人は輪郭がはっきりしない、ぼやけた人間のような気がするのです。
円環的時間とプルーストは記述しました。そう円環的なのはそうした歴史の積み重ねに現在があるからこそ時間を飛び越えて再現できるものなのです。
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