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2012年3月10日土曜日

3.11の残したもの

東日本大震災から1年、私は背筋の肉離れで自宅のソファに寝ながらその日を受けたのですが、皆様はどうだったでしょう。

妻はあざみ野の東急で地震を受け、店員さんと一緒にパニックになってへたり込んでしまった女性を勇気づけていたようです。

娘は職場で罹災し、職場の建物では天井が落ちたといいます。徒歩で帰ってきました。

息子だけ関西にエスケープ(知っていた??)していて、治まってから帰ってきました。

昨日も作家の高村薫氏がよいことを言っていました。あの日以降、日本人は何ら抜本的に考えようとしていないと、まるであの日が無かったことのように、あの日の前に戻りたがっているようだと言っていました。

頷けます。あのガソリン騒ぎ、コンビニの食糧騒動、多くのボランティアの参加、そして現在のボランティアの不足そして瓦礫の受け入れ拒否・・・・・・・

多くの矛盾は氏の指摘をもって納得できます。日本という大きな制度設計はすでに耐用年数を過ぎて部分的な繕いでは体を得ることは出来なくなっているのです。

日本が浮き上がる唯一のチャンスをこの国民気質とそれに準じた日和見的政治制度が失わせています。

このままの日本なら10年後には世界から見向きもされなくなります。ここ数年、世界の日本への目は冷めています。

相手国に行って対等とは言いません。ただ、ある程度の節度をもって接していただいていたものが、卑下される国になってしまっています。これではこれからの若者の未来はありません。

いま政治に必要なのは、この国をどのような方向に舵取りして、将来どういう国にしたいのかしっかりと訴えかけることです。すでに1年無為に過ごしてしまったのです・・・・・・

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