モモコちゃんが亡くなった亨年18歳・・・大往生である。
でも飼い主には大往生なんてありえない。いつになってもまだ来年と思うから・・・
私は兄弟もなく、友達も少なく(この性格ゆえ皆無??)犬や猫が幼い頃の友達だった。
神社の境内に捨てられた小犬を拾って来ては飼ったのは数えきれない。
最後にいた子は「チコ」という小さな雑種だった。
クル病にかかって脚はO脚、そして苛められた性格ゆえか怖がりだった。
私以外の人間が食事の時に手を出そうものならガブッと噛みついた。
そんなチコを上京のため離れ離れになった。
母親の手術もありチコは手放した。今でもそのチコの夢を見る。
それ以来、犬は飼わないと心に決めた。
二人目の子供が生まれ長女が幼稚園のときにオーストラリアの先輩の家を訪ねた。
そこにはマディというお利口なゴールデンかいた。
自分が飼っていた今までの犬との違いに驚いた。
娘は犬に触ったことも接したこともなくソファーの上を逃げまわった。
帰国して犬を飼うと決めた。
ジニ―が家にやってきたのはその時である。我が家に沢山の幸せをくれたジニーのことは忘れない。
ジニ―は7歳で虹の橋に旅立った。あまりの突然に我が身を切られた悲しさにどうしようもなかった。
突然の死はやりきれない思いだった。
しばらく犬を見ることも触ることも出来なかった。
2か月以上が経った頃、いつも散歩させていた広場に行くと、いつもは寄ってこない達郎君というブルドッグが近寄って来てそばを離れようとしない。
涙があふれて・・・とめどなく、目の前が何も見えなくなった・・・・
犬を失った悲しみは犬でしか癒せないと思った。
それ以来、犬を飼い続けると決めた。自分が死ぬまで一匹でも多くの犬と一緒に暮らしたい。
その時間は私にとっても犬にとっても最高の時間とするべく自分に課した。
犬の寿命は短い。だからこそ最大の愛情をもって接して愛すべき家族としなければならない。
有名タレントが犬は家族じゃないという。私はそうは思わない。短い時間かもしれないが家族だ。
短いからこそ出来うる最大の愛情を注いで育て接するべきである。
セプやさくらもいつかは死ぬ。考えたくなくてもいつかはその時がやってくる。
その時は骨壺を抱いて眠る日が続くだろう・・・さりとてまた犬は飼うと思う。
本当に愛しているから・・・・家族とともに歩んだ愛しい君たちかけがえのない神様からのプレゼントだった・・・愛しべき君たちへ・・・・
ジニ―は一緒にハレクラニのプールで泳いだのですよ・・・・・・・・・いつも一緒にいて・・・・
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