私は何故か知らないが、当時の大学の一般教養にあった「美術史概論」という授業をとった。当時の内容はもう忘れたがその時の講義の先生が「日本の美術が壊滅的な被害にあう事実が3回あった」「そしてその1回は辛うじて難を逃れた」といったような事を言ったことだけ覚えている。
1回目は応仁の乱、悉く焼き打ちされた。もう一つは太平洋戦争である。多くの文化財が喪失した。
その間を埋めるのが急速に西欧化した明治の時代の危機である。
その明治の言ってみれば、鹿鳴館にうなされて今までの芸術を見向きもしなかった時代に多く日本美術は軒先に置いてけぼりにされていた。その日本美術を海外逃避という選択で難を逃れさせた人こそ岡倉天心であり、協力者のフェノロサやピゲロだった。
そんな海外に逃避していた美術品の里帰りが国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展」である。
この展覧会は今年どうしてもみておきたかったものだ。
曽我蕭白はご存じのように奇才である。現存するものが多く伊勢地方で発見されたため当初はこの地方の出身と間違えられていたが、近年では京都の裕福な商家の生まれで、父母の死後、家は凋落し、自らも奉公に出て、色々な流派も含め独自で絵を学んだようである。
室町時代の画氏の曽我蛇足とは直接の関係はないようだが、蕭白はオマージュも込めて自らを蛇足軒と名乗っていた。
蕭白の雲竜図は実はつい最近まで、襖に張られていなかったため、展示されることが無かったと聞く、襖から外して急遽アメリカに運んだ当時の状況がうかがわれる。
専門家による修復も完了してお目見えになった逸品である。
私は絵の先生に「絵と言うのは写真とは違う、そのまま丸写しにすれば良いというものではない。描きたい対象を決めて、力強く、描くのです」と教わった事がある。
まさに蕭白の絵はそのとおり、描きたいものが何なのかはっきりと目に飛び込んでくる。
もちろん構図やそのデフォルメを嫌う人もいようが、私にはその個性がはっきりと感じられた。
展時には「平治物語絵巻」や「刀剣」「きもの」などもあったが「三条巻」より「信西巻」の方がスピード感を感じられて個人的には好きなのでさっと流す程度だった。
私の鑑賞方法は確かに一般から見れば邪道だと思う。みたいものを決めて直感的に視る。
そのほかの物ははっきりいってどうでも良いのだ。くぐっと心ひかれたものが何だったのかそれをみるために行くからだ。
笑っちゃう話だが、ルーブル美術館も1時間も掛らなかった。ニューヨークのメトロポリタンはフェルメールの青をみるためにだけにいった。
私のみるは「観る」ではなく「視る」なのかもしれない。
お時間があれば是非足を運ぶ事お薦めする。上野は丁度、八重桜とぼたんが盛りだった。桜の後、草木が一斉に光り輝きだした。
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