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2012年7月5日木曜日

ヒッグス粒子

名付け親のヒッグス博士も出席しても祝典となったCERNであったが、確かに歴史的快挙であることは間違いない。ただ、マスコミの取り上げ方がやや少ないと思ったのは、この発見が今すぐ何かの役に立つか分からないため、マスコミの特性ゆえ仕方のない事であろう。まあずっと先になって世紀の大発見というものは評価されるのだから。

40歳を過ぎるまでまで素粒子物理学、いや素粒子が何ぞやなどと考えた事も無かった。



我々が教わった物質の最小単位は何せ原子でしたから(笑)その私がたまたまこのレオン・レーダーマンの著書を読んでその世界の広がりにある種の哲学的命題も感じて本を買い増していった。




もっとも、思いっきり文系脳の私が難しい式を理解できるわけでもないのだが、「そういう世界」があることを知るのである。

話はそれるが、歳をとってからの勉強と言うのはそれでいいと思うのだ。「そういう世界」があると知る事が大切なんだと思っている。

ヒッグス粒子の仮説はこの宇宙全体を構成する素粒子の骨格を決定している。この粒子の存在がないとすれば現在のインフレーション宇宙論は成り立たないであろうし、物質そのものの成り立ちさえ説明できない。

私には冷やされたからヒッグス粒子が誕生したのか、それともヒッグス粒子が存在したから冷やされたのか分からないが、この二つの要素は宇宙生成の大切な要素であることは間違いない。

大昔の宇宙論はこの宇宙をエーテルのようなものが満たしていると説いたのはアリストテレスであり、デカルトであり、ニュートンでもある。そのエーテルの正体が徐々に分かり始めたのである。

私達は二つの宇宙を持っている、この銀河系のように星空を覆う広大な宇宙、そして内なる宇宙である。どちらも決して人知の及ぶものではではないが、人類は必死にその一部でも解明したいと努力を続ける。これこそ人類の知識欲である。

七夕も近い。星空を見上げてそんな宇宙の事を考えてみては如何だろう。国民に媚を売ったふざけた名前を拵えた政治家達の姿よりずっとずっと深遠だと思うのだが・・・・


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