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2012年11月8日木曜日
時間の話 情報の断片化
皆さんはプルーストの「失われた時を求めて」を読んだことはありますよね、まあ無いとしても名前は誰でも知っている有名な円環的時間小説であります。
映画化されたアランロブクリエの「いつかマリエンバートで」は円環的というより、行きつ戻りつしながら話が断片的に進められていくものでした。羅生門にヒントを得たと聞きました。
私は数年前こんな絵をみたことがあります。
真四角の窓を少し離して等間隔に作っていき、その中に影絵のような人間を登場させるものです。そして等間隔の長さを変えまた作る。するとどうでしょう見えている姿を結びつけて私達は話を作っている事に驚かされたと同時に見えている姿が違えば物事のストーリーは異なり、さらに見えている部分が少ないほど物語は何通りもスト―リが出来てしまうのです。つまり可能性が拡大したのです。我々の生活とはいわばこの影絵つまり情報なのです。時間の持つ本質的なものを忘れるとその影絵の中の人物のように情報の断片となってしまうのかもしれません。
息子が小学生の時に、時間と空間の本を読んであげた事があります。アインシュタインの相対性理論や特殊相対性理論もさることながら、息子は歪んだ宇宙時間の話をしていくうちに怖くなったのか耳を抑え始めました。それ以来今でも宇宙や時間の事を考えると怖くなると言っています。ちなみに23歳の大学生です。(笑)
そのくせ彼は恩田陸さんの大ファンで彼の書架には全ての小説があります。(笑)
恩田さんと言えばよくこの時間を取り上げます。事実彼女はある小説でアランロブクリエの「去年マリエンバートで」を参考にしたとも言っていました。
今見えているこの世界は数秒後には無くなっているのです。数秒後にはまた別の世界が存在する訳です。
今こうしてパソコンの画面に文字を入力している自分がもし入力しなかったら、明日は必ず入力した自分とは違う世界になっている訳です。それが全体からみれば凄く小さくて気づかないかもしれませんが、異なっていることは事実なのです。あの影絵のように。
あらゆることが何らかの関係性を持っていると教えてくれるのは複雑系という学問を専門にしている人達です。
ステーブン・ストロガッツのいうシンクロです。
インターネットをやるとバカになると昨日テレビでその筋の専門家という人が言っていました。馬鹿じゃないでしょうか、脳科学がどんなに進んで人間の脳を研究しても、人間の脳には可塑性を伴い未だ神秘のベールが存在する訳ですから、そう簡単な結論は出ないはずです。
昨日も、とある新聞を読んでいたら、息子の同級生で天才と呼ばれたその人は「我々はDNAというパンドラの箱を先人達が開ける姿を固唾をのんで見守っていたが、今度はその中にいくつもの箱が登場し、我々はそのブラックボックスを開けなければならない」とまさに生命科学の先端の研究をしている人の言葉で、思わず膝を叩きました。
時間が見えなければ単に私達は情報として処理されます。それは明日には存在も許されず消滅する泡のようものです。
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