今ここに一冊の写真集がある。いや写真帖か。
私は氏の「図鑑少年」を読んでからずっと気になっていた。「図鑑少年」に主語は登場しない。
どこまでも客観的に風景や心情を即物的に捉える。これが私には心地よいと思った。
この写真帖は1980年代の初頭にニューヨークのおもにイーストビレッジに氏が暮らしていた頃に撮り集めたものだ。
氏は私より一回りは違わないが先輩である。つまり27.28歳の女性が今のような治安ではない80年代にひとりNYで暮らしていたのだ。
ニューヨークの地下鉄は犯罪の象徴であり、きっとそんな街に一人で出掛けることはきっとかなりの覚悟が必要だったはずだ。むしろ覚悟というより諦念に近いものか。
私も体が覚えていることがある。危険な街の中に放り出されたらまず自分に出来る事は五感を研ぎ澄ますことだ。聴覚は鋭敏になり、匂いや光にも敏感になる。
きっと彼女はそんな諦念の中に自信を見つけて、街に出たのだろう。
写真を見ると分かる。氏がどこまでも存在をなくしていることを。まるで透明になったように。
そうすることでありのまま景色が違った意味を帯びてくる。
竹田花氏の写真集を思い出す。写真を撮ると言う事は極限まで自己を透明にして表現する事なのか、小説もまた自己を極限まで解体し再構築するのだとすれば、優れた文章にはこの共通する無為なものが必要となる。
私にはそのどちらもそのかけらも永久に見つけることは出来ないだろう。
パリの蚤の市を歩いている時に妙な緊張感が突然私の背中に走った。
妻は能天気に足取りも軽く喜び勇んでいたが、その直後、数人の子供達に囲まれライターで妻のコートの肩口に火を付けられた。
私が追い払うと逃げて行ったので大事には至らなかったが、その時の子供達のひそひそ声や大人の女の笑い声がスローモーションの映像のようにはっきりと今でも瞼の裏側にこびりついている。
あのときの緊張感こそが今の東京にはないものだったのかもしれない。
氏は私の大学の先輩でもある。当時の先輩達はこうして海外に出て行き貴重な経験をしてそれを豊饒な記憶と共に日本に持ち帰って来ている。
驥尾に付す。そんな言葉を思い出す。
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