Capter3 Ⅰ
優子は目の前の黒い巨大な建物を見上げていた。その建物は竹橋の交差点にある新聞社の隣にあった。優子はこの新聞社に見覚えがある。
それは洋一が就職する以前のことだった。洋一の友人が新聞配達のアルバイトをしていた。新聞配達のアルバイトと言っても早朝にオートバイや自転車で各戸に新聞を届けるものではない。それは新聞販売店に直接新聞を運ぶ仕事だった。
用賀にあるトラックに乗り竹橋のこの新聞社でインクの匂いが強烈な印刷したての新聞を受取り、二ノ宮や国府津の販売店まで運ぶ仕事だった。
ある時その友人が体調を壊して洋一にピンチヒッターを依頼したのだ。優子はその内容が楽しそうなので洋一のピンチヒッターについていったことがあったのだ。仕事を終えると帰り道の大磯港でトラックの荷台に隠してあったアイパのツインフィンとモスのコンケープの深く入ったダブルフィンのボードを使って形の良いショルダー程のレギュラーの波を2時間半ほど楽しんだ。
優子はそんな楽しさとは裏腹に今、目の前の建物を見つめていた。
その建物は石張りで、窓ガラスはピカピカに拭きあげられ、誰の目からもお金が掛ったものであることはわかった。
建物が持つ威圧感とは結局中で働く人間の弱さの代償の様な気がしていた。それに石張りの建物は墓石を連想させていた。
湿った石積みの階段を上がると、入口には制服を着た警備員が入館者のチェックをしていた。濃紺のスーツを着た優子は建物の窓ガラスに映り込む青空を一瞬見つめ、それからすうっと深呼吸した。警備員に要件を伝え足早にエレベーターホールに向かった。
その会社は子供から老人まで名前の知らない人はいないような、名の通った商社だった。本店を関西に置くその商社は財務内容が堅実で、石橋を叩いても渡らないと比喩されていた。優子はそんなことはどうでも良かった。早く面接を済ませて表に出たいという気持ちだった。この慇懃な建物を心底嫌悪していたから。
思いのほか面接は順調に進んだ。優子は余計な事を言わなかった。ただひとつ日焼けしていることで何かスポーツをしているのか尋ねられた時に、父と一緒にゴルフをしていると嘘をついた。相手の面接官が左手にグローブの跡がないことを尋ねられたが、その跡が嫌なので手袋をしないでプレーしていると嘘を重ねた。
ひとりの面接官はまだ優子とさほど歳の離れていない若者だった。もう一人の面接官は年の頃にして40代前半といった感じだが頭が後退し観た目はもっと老けて見えた。お腹のあたりに脂肪がたまり、着ているワイシャツも妙に窮屈みえた。面接が終わると優子は足早に入ってきた玄関を目指した。優子は表に出ると同時に大きく深呼吸した。まるで嫌な物を吐き出すように。
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