私が物心ついて初めて父親に連れて行かれた映画はマカロニウェスタンの代表作「夕陽のガンマン」である。同年齢の子供が親に連れられて観ていた東映映画祭りとは大違いであった。
父はウェスタンが好きだった。誰か特定の俳優が好きと言うのではなく、馬に跨り拳銃を持って荒野を颯爽と走る姿を観るのが好きだった。恐らく過去の自分とだぶらせていたのかもしれない。
父は遅くして母と結婚した。2度目だった。母と結婚した頃の父は一人で焼き物の釉薬の研究しながら器や置物をつくる物静かな男だった。だが彼の輝かしい歴史はそこには無かった。朽木寒三氏の馬族戦記という小説がある。父は朽木氏に依頼され、戦前から戦中に至る中国北東部の様子を詳しく話していたらしい。私も成人してその本を読んだが、当時の日本人は中国のこんな奥地でかなり際どい行動をしていたと唖然となったものだった。
その時の父はポケットから半券を見つけられた母にどうして子供にこの映画を見せたのか暫く詰問されていた。今なら年齢制限ということで入ることは出来ないが、当時はそんなことは関係なかった。それからも父は数回その手の映画に私を連れて行った。ただし、帰ったらこの子供用の映画を観てきたと父と口裏を合わせなければならなかった。それでもこっちの方がずっと楽しかった。それ以来漫画をあまり観ない子に育った。
大学の時にヌーベルバーグに興味を持った。すでに時代遅れのそれだったが妙な新鮮さとカッコよさを感じた。トリュフォーやゴダールが名画座にかかると必ず観に行った。当時はまだ都内にそんな小さな名画座があって、安い料金で楽しむことが出来た。当時のそうした情報はまだピアではなく、新聞の片隅にちょこっと掲載されている場合が多かったが、茫洋とした記憶で劇場に足を運ぶとすでに上演は終了し、妖艶な女性が手書きで書かれたポスターのピンク映画になっていた事もあった。
フランス映画ばかり観ていた訳ではない。当時隆盛を極めていたハリウッド映画も見た。本数は少ないが、何しろ時間は膨大にある。問題は財布の中身だった。だからどの映画に行くのか迷いに迷った。それが駄作だった時には偉く腹を立てたものだった。
最近、初めて3D映画を観た。この手の映画には全く興味はなかったのだが、その劇場しか空いてなかった。あれはどうも宜しくない。まるで子供の頃に流行った立体絵本みたいで、平面な人間が絵の前面に立っているようで少しも感動しない。
それと感動した映画だったのに2度目を観るとそうでもない事がある。恵比寿にガーデンシネマがあった頃には良く通っていた。確かそこで上映されたのを観たのが「モーターサイクルズダイアリー」だった。チェ・ゲバラがアルゼンチン人と知ったのもこの映画だった。その映画が深夜テレビで放送されていた。よく観てみると感動したはずの美しい映像はかなり意図的に構図されている。いや、構図されるのが映画かもしれないが、その意図が丸見えなのだ。そうなると何となく説教めいて嫌になる。さらに労働者対資本家という善と悪の2項対立の構図もつまらない。あの川幅を喘息の男が泳いで渡るシーンなどあり得ないし、過度に最後を盛り上げようとする力の入りすぎた感じがした。何故、この映画が不快になったのか。それはこの映画が俗に言うロードムービーだからだ。旅と言う行為において人間の本質的な変化や成長を視覚的に映像化する映画ほど2回目の鑑賞に堪えがたいものはないのではないか。つまり変化する時間の中ですでにその記録は同一なのに観る方の主体は変化している。4年前に観た私と今の私とすでに相当な変化が生じているのだろう。それともう一つこの映画はドキュメンタリーではない。史実に基づき作成されたかもしれないがそれは映画である。小説が全てのものが私小説であっても現実でないように、それは虚構なのだ。
前の会社が渋谷に映画館をつくった。その時に来賓でお招きした淀長さんとほんの少しお話をする機会があった。どんな映画を観たらよいか尋ねた私に「何でもいいのよ。好きな物適当に観れば」と言われた事が今よみがえる。適当とは観る側にとって大切な要素なのだ。
つい先日観てなかった「クレアモントホテル」という映画を観た。これは良かった。残念ながらDVDだったが、小さな劇場で観たらさらに良かったのではないかと思う。
これからも適当に色々な映画を観て楽しむことにする。
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