初めてパリを訪れたのは1997年だった。
降りたシャルルドゴール空港は古いターミナルでエスカレーターがガシャコショと音を立てていた。
建物を出ると11月のパリはもう真っ暗になっていた。
タクシーにトランクを詰め込み行き先のホテルを告げた。
途中から雨が降り始めタクシーの窓にはしずくが横に流れた。
小一時間でパリの市内についた。暗闇の中、タクシーは石段の下で止まり、ここから先は歩いていかなければならないと言われ、重いトランクを引きずるように運びあげた。
石段の中腹にはちょっとした広場があり、ホテルはその広場の横だった。
雨は不思議にあがっていた。
部屋は狭く、トランクを置くと足の踏み場もなかった。
翌朝目が覚めると外はまだ暗い、小さな食堂は10人も座れば満席になる。
クロワッサンのバターの香りが疲れた胃にコタエル。
私はゆで玉子だけ食べて表に出た。
当時はまだ映画のアメリも上映されておらず、パリの下町のモンマルトルには日本人は少なかった。
坂道を上がり、頂上付近のテルトル広場に行くと観光客相手の似顔絵かきが広場に点在していた。
広場の隅に小さなカフェがあった。11月なのに夏のように暑いその日は何としてもビールが飲みたかった。フランス語でビールはビェールだった。そこからパリの屋根が見えた。
あれから何度もパリに通った。飛行機もエコノミーから上のクラスに変わった、ホテルも少しずつ高級な物に変わった、食べるところも次第に要領を得てきた。
しかし、この時のパリが無性に懐かしい。高級でなくても、美味しくなくても、何も知らなくても、私を一番心ときめかせたのはこの時のパリだったからだ。石段の下から2メートル近くの大男のセネガル人がやってきて、同胞と間違えられ大きな手で握手されたのはこの時だけだった。あの男が出稼ぎで働いていたイタリアレストランは今もあるのだろうか。今年はパリに行ってみようか。
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